スカイツリーは「埼玉」に建つはずだった? 東武鉄道も絡んだ争奪戦、124万人署名むなしく幻に終わったワケ
14地域が火花散らす誘致合戦

2012(平成24)年に開業した東京スカイツリーは、現在地の墨田区押上に決定するまでに、公式・非公式あわせて14の地域が誘致に名乗りを上げていた。建設予定地をめぐっては、各地で自治体や地元企業、住民有志による多様な動きが見られた。
例えば、台東区は2001年11月に誘致準備会を結成。隅田公園周辺を候補に挙げたほか、上野恩賜公園や上野~浅草寺周辺を想定した構想も検討された。足立区では2004年3月、区役所内に専属プロジェクトを立ち上げ、東六月町のニッポン放送旧アンテナ跡地、あるいは舎人公園を候補地とした提案を示した。
このほか、豊島区は東池袋、練馬区はとしまえんおよび光が丘公園を候補に挙げていた。文京区にも建設案が存在した。また、東京都以外では、埼玉県とさいたま市が共同で「さいたまタワー」構想を打ち出し、さいたま新都心を候補地とした。
こうした誘致の動きは、自治体主導型だけでなく、地元経済団体や市民グループが中心となるケースも多かった。背景には、新タワーの建設がもたらす経済波及効果、観光振興への期待があった。
一方、自治体が本格的に誘致活動を開始する以前の1999年には、NHKと在京民放キー局5社が「タワー建設プロジェクト」を発足。2003年に始まる地上デジタル放送に向け、新たな送信拠点の確保を目指した。
当時の候補地には、
・新宿駅南側のJR線路上空
・秋葉原の都有地(旧神田青果市場跡地や駅前駐車場)
・多摩ニュータウン
などが含まれていた。いずれも
・電波環境
・用地取得の容易さ
・将来的な観光資源
としての価値などが比較検討された。さらに2003年12月には、NHKを含む在京6社が「在京6社新タワー推進プロジェクト」を新たに立ち上げ、候補地の絞り込みと事業スキームの検討を加速させていくことになる。