スカイツリーは「埼玉」に建つはずだった? 東武鉄道も絡んだ争奪戦、124万人署名むなしく幻に終わったワケ

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東京スカイツリーの建設候補地は14地域に及び、自治体や地元経済団体が競って誘致を進めた。2004年にはさいたま新都心で124万人超の署名が集まるなど熱狂的な動きもあったが、電波障害や経済的持続性の課題が指摘され、最終的に墨田区押上が選定された。東武鉄道の全額出資による新会社設立を経て完成した同タワーは、観光を超えた地域経済の活性化とインフラ機能を両立し、墨田区の経済構造に新たな価値をもたらしている。

運営主体の資金力と課題

さいたま新都心(画像:写真AC)
さいたま新都心(画像:写真AC)

 候補地は多岐にわたったが、選定は慎重に進められた。理由は、タワーの運営主体を別に設け、放送局各社はあくまでテナントとして入居する前提だったからである。

 単に放送電波を発信するだけなら、放送局の技術力と出資だけで対応可能だ。しかし巨大なタワーは観光資源としての需要も高い。展望台や商業施設などの付帯施設が不可欠となるため、その運営ノウハウと資金は放送局だけでは賄いきれない。

 例えば、東京タワーの建設は、実業家・前田久吉(1893~1986年)が設立した日本電波塔(現・TOKYO TOWER)が主導し、現在も管理運営を担っている。前田は産経新聞や関西テレビの社長も歴任し、十分な経営能力と資金力を持っていた。このように、運営能力を備えた建て主の存在と、土地の確保、地域住民の理解・支持が重要な条件となる。

 誘致エリアのなかで特に熱心だったのがさいたま新都心である。埼玉県とさいたま市は、経済団体や国会議員と連携し、「さいたまタワー実現大連合」を結成。すでにさいたまスーパーアリーナや鉄道博物館の誘致に成功していた同エリアは、さらなる観光の目玉としてタワー建設を強く望んだ。

 2004(平成16)年9月23日、さいたまスーパーアリーナには1万5000人が集結し、「さいたまタワー実現大集会」が開催された。署名活動は目標の100万人を突破し、124万人に達したことが強調された。建設候補地の新都心第8街区では11基のサーチライトが夜空に照射され、「バーチャルタワー」が演出された(『毎日新聞』2004年9月24日付)。

 土地の広さ、住民の期待度ともに高かったさいたまタワーは、この時点で実現間近に見えた。

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