首都高で見かける「AH1」という標識――いったいどんな意味?
江戸時代から続く日本橋は、国内道路網の起点としてだけでなく、約2万1000kmに及ぶ国際道路網「アジアハイウェイ1号線」の起点でもある。だが地政学的課題や法的未整備が現実的運用を阻み、構想は依然として道半ばにとどまる。未来の交通戦略を見据え、接続可能性を軸にその意義を再考する必要がある。
全国自治体に課された1919年の設置令

1919(大正8)年に制定された旧道路法および関連する道路施行令では、全国の各市町村に道路元標を設置することが義務付けられていた。この元標を基準に、道路の起点や終点が明確に定められていた。
しかし、1952(昭和27)年に施行された新しい道路法では、道路元標の設置義務は削除された。現在も全国各地に道路元標は残っているが、法的な効力はすでに失われている。
日本橋の中央に埋め込まれている現在の道路元標は、1972年の道路改修時に新たに設置されたものである。
それ以前に使われていた元標は、現在のレプリカの横に立つ十字の柱だ。一見すると記念碑のようだが、これは当時の東京市が設置した「東京市道路元標」である。形状が独特なのは、かつて都電の架線柱としても使われていたためだ。