東京の都心になぜ「1丁目が存在しない町」があるのか──住居表示の合理化が壊した町の誇り、いまも残る地名のねじれとは
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東京都心に点在する「1丁目がない町名」の謎は、住居表示制度導入時の住民と行政の複雑な攻防の産物である。1960年代以降、合理化と地域アイデンティティの衝突から一部地区では住居表示が部分的にしか実施されず、住所体系の不整合が郵便・行政サービスに影響を及ぼしている。近年では旧町名復活の動きも進み、住所は単なるコードから「記憶と誇りを繋ぐ地域の象徴」へと変化しつつある。
「1丁目不在」の現象

東京都千代田区の北東部に位置する神田には、「1丁目が存在しない不思議な町名」が点在している。神田多町(たちょう)、神田司町(つかさちょう)、神田鍛冶町(かじちょう)――いずれも2丁目以降は存在するが、1丁目だけがない。
都心部という土地柄もあって、この違和感に気づく人は少なくない。過去には、こうした疑問を掘り下げたメディアもある。例えば『東京新聞』は2015年7月20日付朝刊の「TOKYO発 神田のフシギ 1丁目がなかったり3丁目しかなかったり」という記事で、この謎に触れている。同紙は、住居表示の実施に際して
「地元の意向などで住居表示をせず、従来の町名を維持した」
と説明する。だが、この説明だけでは核心に迫れていない。なぜ従来の町名を維持したにもかかわらず、1丁目だけが消えたのか。なぜ2丁目から始まる異例の番地体系が生まれたのか。
この現象の背景には、住居表示制度の導入をめぐって住民と行政の間で繰り広げられた、知られざる攻防があった。