東京の都心になぜ「1丁目が存在しない町」があるのか──住居表示の合理化が壊した町の誇り、いまも残る地名のねじれとは
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東京都心に点在する「1丁目がない町名」の謎は、住居表示制度導入時の住民と行政の複雑な攻防の産物である。1960年代以降、合理化と地域アイデンティティの衝突から一部地区では住居表示が部分的にしか実施されず、住所体系の不整合が郵便・行政サービスに影響を及ぼしている。近年では旧町名復活の動きも進み、住所は単なるコードから「記憶と誇りを繋ぐ地域の象徴」へと変化しつつある。
変化時代の町名継承課題

それでも町名が争点になるのは、町名が「実用」ではなく
・記憶
・誇り
・つながり
の象徴として機能しているからである。神田のように町名に強いアイデンティティを抱く地域では、合理性と歴史性、制度と共同体の間で今もギリギリの均衡が保たれている。
今後の都市は、再開発や人口変動、高齢化など複雑な変化に直面する。そのなかで町名や住所体系の見直しは避けられない。しかし、それは単なる技術的な整理ではなく、
「どのような名前でこの土地を記憶し、どのようなつながりを未来に残すのか」
という社会文化的な選択でもある。制度の合理性と住民の歴史観・文化観の衝突は、一朝一夕に解消できない。
だからこそ、私たちは合理性と記憶性のいずれかを選ぶのではなく、両者をいかに共存させるかという課題に向き合う必要がある。