東京の都心になぜ「1丁目が存在しない町」があるのか──住居表示の合理化が壊した町の誇り、いまも残る地名のねじれとは
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合理化が生んだ町名の歪み

ここまで見てきたとおり、「神田」という旧町名が持つ象徴的な価値は、想像以上に重い。その影響力は近年においても変わらない。
2013(平成25)年から2014年にかけて、千代田区では「神田三崎町」「神田猿楽町」への町名回帰をめぐり、住民の間で再び激しい議論が起こった。区の住居表示審議会では、町会長らが
「神田はブランドであり、地名が体に染みついている」
と主張。地名の継承は、地域アイデンティティの保持に直結すると訴えた。一方で、企業側からは慎重な声もあがった。看板やチラシ、ゴム印などの再制作にともなう負担が大きく、なかには町名が変更されれば区に対して損害賠償を請求するとまで明言する出席者もいた。2014年9月、町名変更案は区議会生活福祉委員会で可決された。しかし、住民全体への十分な意向調査がなかったことが問題視され、付帯決議では
「地域が分断されるなどの混乱を招かないよう努力を」
との注意が付された。一連の経緯は、町名が単なる行政コードではないことを明確に示している。地名は
・商業的信用
・地域文化
・住民の誇り
と強く結びついている。「神田」の二文字があるかどうかで、店の看板の意味が変わり、地域の結束さえ揺るがされる。町名とは、経済・記憶・共同体が交差する接点にほかならない。
住居表示制度は、本来は都市の拡大とともに複雑化した住所体系を整理し、行政や郵便、防災の効率化を図る目的で導入された。丁目・番地・号で住所を統一し、街区単位で整然と整理する構想自体は合理的だった。
しかし、制度を地域に適用する過程では、住民の意向や歴史的背景との間に摩擦が生じた。結果として、一部の町では住居表示が部分的にしか実施されず、次のような整合性の欠如が生まれた。例えば
・表示が導入された区画とそうでない区画が混在する
・町境が不自然に湾曲する
といった現象である。いずれも制度設計の想定外だった。
実際、こうした不連続な住所体系は、郵便配達や行政手続、交通案内、地図データ処理といった日常業務にも混乱をもたらしている。皮肉なことに、整然さを目指した制度が、合意形成に失敗した地域においては、かえって混沌を生む結果となった。