「電車が止まるストライキ」はなぜ消えたのか? 「20万人が線路を歩いた日」から半世紀──今や全面運休すらないその理由とは

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かつてストで電車が止まり、人々が線路を歩いた。1975年の「国鉄スト権スト」には20万人超が参加し、社会機能は一時停止した。だが今、鉄道ストは影を潜め、あの光景は姿を消した。労組の弱体化と社会構造の変容がもたらした“昭和的インフラ社会”の終焉とは何だったのか。

国鉄民営化で状況が変わる

「線路を人が歩く」光景が見られなくなった背景には、

・労働組合の弱体化
・社会情勢の変化

がある。かつて鉄道の全面運休をともなうストライキが実現できたのは、国鉄に強力な労働組合が存在していたからだ。当時、国鉄職員の大多数は国労や動労(国鉄動力車労働組合)に所属しており、これらの組合には運行停止をともなうストを打てるだけの動員力があった。

 だが、1980(昭和55)年に「国鉄再建法」が成立すると、状況は大きく変わる。1987年には国鉄が分割・民営化され、組織はJR各社に再編された。それとともに国労は急速に力を失い、2010年代には組合員が1万人を下回った。その後も減少傾向に歯止めはかかっていない。動労も民営化で分裂し、多くの組合員がJR連合(JR総連)へ移行した。一部は動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)のように地域単位で残ったが、全国規模の統一ストを実行できる体制は崩れた。

 なお、国鉄民営化に際し、労組側は抗議行動やストの通告を検討したが、実際に運休をともなうストは行われなかった。ただし、1985年11月に動労千葉が分割民営化に反対してストを決行。これが「第一波スト」と呼ばれた。そして1986年2月15日には「第二波スト」が実施され、これが国鉄として確認されている最後の大規模ストライキとなった。

 民営化後のJR各社では、雇用形態の多様化が進み、労働者の利害を一本化しにくくなった。法的にはJRは民間企業となったため、国鉄時代に制限されていた争議権は形式的に回復された。しかし企業側も内部統制を強化し、ストを未然に防ぐ体制を整えた。さらに、1985年の動労千葉によるストに対する世論や政府の強い批判が、その後のストを困難にする空気を作った。この傾向はJRだけでなく私鉄にも広がり、「電車を止めるスト」は法的に可能であっても、実際にはほとんど実施されなくなった。

 結果として、1975年の「国鉄スト権スト」以降、ストによって人々が線路を歩くという象徴的な光景が、大きく報じられることはなくなった。

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