「電車が止まるストライキ」はなぜ消えたのか? 「20万人が線路を歩いた日」から半世紀──今や全面運休すらないその理由とは

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かつてストで電車が止まり、人々が線路を歩いた。1975年の「国鉄スト権スト」には20万人超が参加し、社会機能は一時停止した。だが今、鉄道ストは影を潜め、あの光景は姿を消した。労組の弱体化と社会構造の変容がもたらした“昭和的インフラ社会”の終焉とは何だったのか。

社会が止まった日──60~70年代の国鉄スト

労働争議の種類別件数の推移(画像:厚生労働省)
労働争議の種類別件数の推移(画像:厚生労働省)

 鉄道ストライキ、特に国鉄による全国規模のストは、日常の移動手段を奪い、社会機能を一時的に麻痺させた。スト当日、駅には「本日はストライキのため、列車は全線運休します」といった貼り紙が掲示され、改札は封鎖された。都市部では混乱のなか、通勤客や学生の一部がホームに入り込んだり、踏切から線路に立ち入ったりして、そのまま線路を歩いて職場や学校へ向かった。

 1966(昭和41)年4月には、国労(国鉄労働組合)と私鉄の労組が共闘し、全国一斉の統一ストライキを実施した。このときは鉄道が全面的に停止し、レール沿いを徒歩で進む人々の姿が記録に残っている。

 1973年4月には、国労を中心とした乗務員が、法令や社内規則を厳密に守って業務を行う戦術、いわゆる順法闘争(遵法闘争)を展開した。普段は省略されがちな確認作業や信号待ちをすべて規則通りに行った結果、首都圏のダイヤは大きく乱れ、一部では運休も発生。混乱のなか、線路を歩く通勤・通学客の姿も確認された。

 1975年11月に実施された「国鉄スト権スト」は、戦後最大級の政治的ストライキだった。国労は、公共企業体に禁じられていた争議権の法的承認、いわゆる「スト権」を求め、全国規模で72時間の全面ストを決行。20万人以上が参加し、鉄道網は全国的に麻痺した。その影響で、通勤手段を失った人々が枕木や砕石(バラスト)の上を歩く姿が新聞やテレビで大きく報道され、昭和史の1ページとなった。

 なお、線路を歩く行為は旧・鉄道営業法(現・鉄道事業法)で形式的に禁止されていた。ただし、大規模ストによる混乱下では、国鉄や警察が積極的に取り締まることは少なかった。当時のメディアもこうした光景を当然のものとして伝えており、問題視する報道はほとんどなかった。

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