就航遅れる大分のホーバークラフト――何が問題となっているのか? 事故多発、トイレ問題、そして「速さ」の代償とは

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大分空港と市内を結ぶホーバークラフトの就航が遅れている。2024年11月から遊覧運航は始まったが、接触事故や運航基準の厳格化で本格運行は未だ見通せず。特に、トイレ問題や安定運航の課題が浮き彫りとなり、期待される交通革命が先送りとなっている。

本格就航のめど立たない現状

西大分港から別府湾へと出発する大分第一ホーバードライブ3番船「Tanso(淡窓)」。当初は2023年度中に大分空港と大分市内が結ばれる計画だったが…(画像:若杉優貴))
西大分港から別府湾へと出発する大分第一ホーバードライブ3番船「Tanso(淡窓)」。当初は2023年度中に大分空港と大分市内が結ばれる計画だったが…(画像:若杉優貴))

 日本で唯一の高速船「ホーバークラフト」の就航が、頓挫している。

 大分空港と大分市内(西大分港)を短時間で結ぶ新たな交通手段として構想され、当初は2023年度中の運航開始を目指していた。だが、2025年春になっても本格的な就航のめどは立っていない。

 大分市民の期待を背負った高速移動手段・ホーバークラフトは、なぜ動き出せないのか――。

大分空港への交通手段として定着

現在の大分空港の位置(画像:OpenStreetMap)
現在の大分空港の位置(画像:OpenStreetMap)

 ホーバークラフトが大分に就航するのは、今回が初めてではない。最初に大分空港と大分市内を結んだのは、1971(昭和46)年に登場した初代ホーバークラフトだった。

 かつて大分空港は大分市内にあったが、川に挟まれた立地で拡張が困難だった。加えて、安全性にも課題があったため、空港は大分市から約60km離れた国東半島の安岐町・武蔵町(現在の国東市)の埋め立て地へ移転された。この移転にあわせ、空港と大分市を結ぶ新たな交通手段として別府湾を縦断するホーバークラフトが就航した。これが「大分ホーバーフェリー」である。

 大分ホーバーフェリーは、大分交通と大分県が出資して設立した第三セクターの企業だった。ホーバークラフトは圧縮空気を使って浮上しながら走行するため、一般の船よりも速く、陸路の半分以下の時間で空港と市内を結んだ。そのため、空港利用者にとっては便利な足として親しまれた。1990年代以降は、日本で唯一のホーバークラフトとなり、「大分空港に着いたら一度は乗ってみたい」と考える観光客も少なくなかった。

 しかし、1991(平成3)年に大分空港道路が開通し、道路網が整備されるとホーバークラフトの優位性は徐々に低下した。さらに、国内で唯一ホーバークラフトを建造していた三井造船が、2016年までに事業から撤退し、メンテナンスも打ち切る方針を表明。こうした背景から、大分ホーバーフェリーは2009年10月に運航を停止し、ホーバークラフトは日本から姿を消した。

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