就航遅れる大分のホーバークラフト――何が問題となっているのか? 事故多発、トイレ問題、そして「速さ」の代償とは
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本格就航のめど立たない現状

日本で唯一の高速船「ホーバークラフト」の就航が、頓挫している。
大分空港と大分市内(西大分港)を短時間で結ぶ新たな交通手段として構想され、当初は2023年度中の運航開始を目指していた。だが、2025年春になっても本格的な就航のめどは立っていない。
大分市民の期待を背負った高速移動手段・ホーバークラフトは、なぜ動き出せないのか――。
大分空港への交通手段として定着

ホーバークラフトが大分に就航するのは、今回が初めてではない。最初に大分空港と大分市内を結んだのは、1971(昭和46)年に登場した初代ホーバークラフトだった。
かつて大分空港は大分市内にあったが、川に挟まれた立地で拡張が困難だった。加えて、安全性にも課題があったため、空港は大分市から約60km離れた国東半島の安岐町・武蔵町(現在の国東市)の埋め立て地へ移転された。この移転にあわせ、空港と大分市を結ぶ新たな交通手段として別府湾を縦断するホーバークラフトが就航した。これが「大分ホーバーフェリー」である。
大分ホーバーフェリーは、大分交通と大分県が出資して設立した第三セクターの企業だった。ホーバークラフトは圧縮空気を使って浮上しながら走行するため、一般の船よりも速く、陸路の半分以下の時間で空港と市内を結んだ。そのため、空港利用者にとっては便利な足として親しまれた。1990年代以降は、日本で唯一のホーバークラフトとなり、「大分空港に着いたら一度は乗ってみたい」と考える観光客も少なくなかった。
しかし、1991(平成3)年に大分空港道路が開通し、道路網が整備されるとホーバークラフトの優位性は徐々に低下した。さらに、国内で唯一ホーバークラフトを建造していた三井造船が、2016年までに事業から撤退し、メンテナンスも打ち切る方針を表明。こうした背景から、大分ホーバーフェリーは2009年10月に運航を停止し、ホーバークラフトは日本から姿を消した。