公道カートではしゃぐ外国人!芸人ふかわりょうが指摘する、彼らへの「ぬかるんだ感情」とは?100件超の苦情!東京の未来と秩序を問う

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東京の街を疾走する「公道カート」は、インバウンド観光の新たな風物詩となった。しかし、そこには都市秩序との摩擦や、日本人が抱える「言語化されていない感情」が潜んでいる。2012年の運用開始以来、安全問題や交通ルール無視が増加し、東京の生活都市としての役割に新たな課題を突きつけている。

日本人の複雑な本音

公道カート(画像:写真AC)
公道カート(画像:写真AC)

「マリカーってあるだろう、カートの。あの、マリカーではしゃぐ外国人を見たときの『日本人の感情』はまだ言語化されていない。悲しいでも寂しいでもない、そのぬかるんだ上を走り抜けていくんだ!」

2025年のR-1グランプリ準決勝で披露されたふかわりょうさんのこのネタは、会場を爆笑に包んだ(YouTubeで2月16日配信)。共感する人が多かったのだろう、しかしふかわさんの言葉は単なる笑いではなく、日本社会が抱えるある種の「違和感」を見事にいい当てていた。

「マリカー」とは、「マリオカート」の略称で、任天堂が1992(平成4)年から順次発売したゲームシリーズを指す。しかし、ここでいうマリカーは、道路を走るカート型の乗り物「公道カート」のことだ。「はしゃぐ外国人」とあるように、近年インバウンド向けの人気コンテンツとして知られている。

 彼らは、派手なコスチュームを着て歓声を上げながら都内を疾走する。その光景を目にしたとき、多くの日本人が抱く感情は

「迷惑だ」
「面白そうだ」

といった単純なものではない。もっと曖昧で、もっと根深い感情であり、ふかわさんが指摘するように「まだ言語化されていない」何かだ。

 では、その感情の正体とは何なのか。本稿では、この不可解な感覚を分析し、新たな視点を提示する。

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