東京から屋台が消えた日! 「昭和の風物詩」はなぜ姿を消した? 規制強化、都市開発、デリバリー…復活の日は来るか?
東京の街から屋台文化が消えた背景には、規制強化や都市開発の影響がある。バブル期の屋台村からキッチンカーへと変わるその過程を追い、都市と食文化の変遷を読み解く。移動販売の未来は、進化した規制と新たなビジネスモデルにかかっている。
新たな「移動式飲食」の台頭

屋台の衰退とともに登場したのが「キッチンカー」だ。屋台と同様に移動販売を行うが、食品衛生法の基準を満たした車両を使用することで、行政の規制をクリアしている点が特徴だ。
東京都は現在、キッチンカーによる営業を推奨し、オフィス街の空きスペースやイベント会場などでの出店を許可している。このため、屋台村が担っていた
「多様な飲食文化の提供」
という役割が、キッチンカーへと移行している。
また、デジタル化の進展も屋台の消滅に影響を与えた。スマートフォンによるデリバリーサービスの普及により、消費者はわざわざ屋台を探し歩かなくても、好みの料理を手軽に注文できるようになった。そのため、屋台が持っていた「手軽さ」の強みが相対的に薄れていった。