東京から屋台が消えた日! 「昭和の風物詩」はなぜ姿を消した? 規制強化、都市開発、デリバリー…復活の日は来るか?

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東京の街から屋台文化が消えた背景には、規制強化や都市開発の影響がある。バブル期の屋台村からキッチンカーへと変わるその過程を追い、都市と食文化の変遷を読み解く。移動販売の未来は、進化した規制と新たなビジネスモデルにかかっている。

屋台文化の変遷と規制強化

屋台(画像:写真AC)
屋台(画像:写真AC)

 屋台が東京の街から姿を消した大きな要因のひとつは、営業許可の厳格化だ。屋台を運営するには、

・食品営業許可
・道路占用許可
・道路使用許可

の三つの許可が必要だが、特に道路占用許可の取得は非常に困難で、現代ではほぼ不可能といっても過言ではない。道路占用許可とは、公共の道路や歩道を一時的または恒常的に占有して使用するために必要な許可を指す。

 高度経済成長期から1980年代にかけて、東京の都市整備が進むなかで、行政は

「違法屋台」

の排除に力を入れた。中でも1989(平成元)年に施行された「東京都屋外広告物条例」の改正は、歩道や駅前広場の無秩序な使用を抑制することを目的としていた。この規制により、駅周辺や繁華街での屋台営業は急速に難しくなった。

 さらに1990年代以降、食品衛生管理に関する基準も厳格化された。特に2015年に改定された東京都食品製造業等取締条例では、路上での弁当販売を制限する動きが強まり、固定店舗を持たない飲食業態への規制がさらに強化された。これは、屋台が引き起こす衛生面でのリスクや、既存店舗との競争を避ける意図があったと考えられる。

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