東京から屋台が消えた日! 「昭和の風物詩」はなぜ姿を消した? 規制強化、都市開発、デリバリー…復活の日は来るか?
東京の街から屋台文化が消えた背景には、規制強化や都市開発の影響がある。バブル期の屋台村からキッチンカーへと変わるその過程を追い、都市と食文化の変遷を読み解く。移動販売の未来は、進化した規制と新たなビジネスモデルにかかっている。
屋台村の変質と消滅

しかし、この屋台村も長くは続かなかった。最大の要因は
「店舗化」
の進行だ。屋台村の成功を受けて、多くの飲食業者が類似の業態を展開したが、その多くが最終的に店舗型にシフトしていった。
六本木にオープンした「お江戸華屋台」は、その典型的な例だ。ビルの地下1階を改装し、コンクリートをむき出しにして「屋台風」の雰囲気を作り出した。しかし、それはもはや従来の「屋台」ではなく、
「屋台風居酒屋」
だった。同様に、新宿や渋谷でも屋台村の名を冠した飲食店が増え、次第に本来の屋台文化とは異なる形態に変わっていった。
さらに、2000年代以降、都市開発が進むにつれ、屋台村があった空き地は再開発され、高層ビルや商業施設に変わった。これにより、屋台村は存続の場を失い、次第に姿を消していった。