東京から屋台が消えた日! 「昭和の風物詩」はなぜ姿を消した? 規制強化、都市開発、デリバリー…復活の日は来るか?
東京の街から屋台文化が消えた背景には、規制強化や都市開発の影響がある。バブル期の屋台村からキッチンカーへと変わるその過程を追い、都市と食文化の変遷を読み解く。移動販売の未来は、進化した規制と新たなビジネスモデルにかかっている。
バブル期が生んだ代替策

規制が強化され、路上での屋台営業が難しくなるなかで、業界が生み出した解決策のひとつが
「屋台村」
だった。1990(平成2)年、世田谷区喜多見に登場した「屋台村」は、屋台を1か所に集め、固定された敷地内で営業を行うスタイルを採用した。
この屋台村のアイデアを提案したのは、都内で移動屋台を展開していた「一龍グループ」の三浦愛三氏だ。氏は屋台が都市の路上から排除されるなら、合法的に営業できる場を作ろうと考え、屋台を集めて固定型の飲食施設にするビジネスモデルを思いついた。これが、後に全国に広がる屋台村の先駆けとなった。
屋台村は、バブル経済崩壊後の都市における「空き地活用策」としても機能した。1990年代初頭、都心の一等地では地上げによって未開発の空き地が増加していた。こうした空き地に屋台村を設置することで、一時的な商業スペースとして活用されるようになった。
例えば、池袋北口にはテント型の「池袋屋台村」、歌舞伎町には建設予定地を活用した「歌舞伎町屋台村」が登場した。これらは従来の屋台とは異なり
「固定された空間で営業する」
ため、行政も一定の許可を出しやすかった。