「日産バッシング」は異常である――昭和の大作家が警告した「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”
日本の集団心理

開高健(1930~1989年)は、日本を代表する作家であり、優れたジャーナリスト、随筆家でもあった。ベトナム戦争の最前線を取材し、南米アマゾンの奥地で怪魚を追い求める旅に出るなど、彼の作品には常に現場で得た生々しい体験と鋭い洞察が息づいている。開高の文章は、単なる美文にとどまらず、人間の本質を抉り出す知性と皮肉、そしてユーモアに満ちており、時代を超えて多くの読者に刺激を与え続けている。
そんな開高が日本人の集団心理について残した言葉がある。
「日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたくので、見ているとおかしくてしようがない」(開高健・文、ジョージ・オーウェル『動物農場』ちくま文庫)
この言葉は、日本社会における同調圧力と「正義」の暴走を的確に言い当てている。特定の対象が批判される状況が生まれると、人々は一斉に糾弾に回り、正義の名の下に「ぶったたく」行為が正当化される。その姿は、ジョージ・オーウェルの風刺小説『動物農場』に描かれた革命後の動物たちの姿と重なる。
『動物農場』では、動物たちは「人間の搾取」という共通の敵を倒すために団結するが、革命後は支配者が変わっただけで、かつての抑圧構造が内部で再生される。新たな「正義」を掲げた支配層――豚たち――は、かつての敵に取って代わる存在となり、反対意見を持つ者を「裏切り者」として糾弾し、排除する。正義が権力と結びついたとき、批判の矛先は「異端」へと向かい、個人の視点は消えてしまう。
この構造は、近年のホンダと日産の統合話をめぐる世論、特に
「日産に対する異常なまでのバッシング」
にも明確に表れている。開高健が見抜いた「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会においてなお強く作用し続けている。