「日産バッシング」は異常である――昭和の大作家が警告した「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”

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ホンダと日産の統合話が報じられるや否や、世論は日産への激しいバッシングへと傾いた。「身売り」「矜持を失った」といった感情的批判が飛び交い、冷静な議論はかき消された。この現象は、開高健が指摘した「独裁者なき全体主義」の体現ではないか。モビリティ業界の未来を左右する重大な局面において、いま求められるのは「正義中毒」からの脱却と本質を見極める視点である。

モビリティ業界を阻む「正義」の暴走

日産自動車のロゴマーク(画像:EPA=時事)
日産自動車のロゴマーク(画像:EPA=時事)

 開高健が指摘した「独裁者なき全体主義」は、現代の日本社会にも根強く残っている。

 日産バッシングに見られるように、誰かを「悪」と決めつけることで自己の正当性を主張し、正義の名の下に攻撃を正当化する構造は、オーウェルの『動物農場』が描いた支配の再生産と変わらない。

 しかし、モビリティ業界を取り巻く環境が複雑化するなかで、こうした集団心理に流されることは、未来を閉ざす行為にほかならない。

 経済的合理性を重視し、多様な視点を尊重しながら冷静な議論を重ねることで、日本社会は「正義」という名の独裁を超え、より豊かな未来を切り開くことができる。

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