「日産バッシング」は異常である――昭和の大作家が警告した「独裁者なき全体主義」と日本社会を覆う“正義中毒”

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ホンダと日産の統合話が報じられるや否や、世論は日産への激しいバッシングへと傾いた。「身売り」「矜持を失った」といった感情的批判が飛び交い、冷静な議論はかき消された。この現象は、開高健が指摘した「独裁者なき全体主義」の体現ではないか。モビリティ業界の未来を左右する重大な局面において、いま求められるのは「正義中毒」からの脱却と本質を見極める視点である。

モビリティ産業の未来を阻む危機

ホンダのロゴマーク。2022年11月8日撮影(画像:AFP=時事)
ホンダのロゴマーク。2022年11月8日撮影(画像:AFP=時事)

 日産バッシングの背景には、日本のモビリティ業界における構造変化も影響している。電動化、自動運転、コネクテッド技術などの急速な技術革新によって、従来の自動車メーカーは生き残りをかけた競争を迫られている。

 ホンダと日産の統合話は、この変化に対応するための合理的な戦略の一環として検討されたものであり、単なる「経営不振による救済策」ではない。しかし、経済的背景を無視し、「かつての名門が堕ちた」という感情的な物語に世論が流された結果、建設的な議論が封じられた。

 この問題はモビリティ業界に限らず、日本の経済社会全体にも通じる。感情的な反応に基づく判断を繰り返すことで、新たな可能性を自ら閉ざしてしまう危険性がある。

 では、「正義中毒」と同調圧力から脱却し、より建設的な議論を行うにはどうすればよいのか。

 まず重要なのは、特定の企業や個人を断罪するのではなく、その背後にある構造や文脈を理解するために「問い」を立てる姿勢だ。日産の統合話も、単なる「経営不振」の問題として切り捨てるのではなく、

「日本のモビリティ産業全体の競争力を高めるために何が必要か」

という視点から議論を進めるべきだ。

 感情的な反応に流されることなく、経済データや業界動向を基に冷静な分析を行うことも欠かせない。例えば、ホンダと日産の統合が技術共有や開発コスト削減にどの程度寄与するのかを定量的に評価し、その結果に基づいて議論を深める必要がある。

 さらに、異なる意見や視点を受け入れる寛容さも求められる。『動物農場』のように「正義」を掲げた側が新たな支配者となり、異端を排除する構造を繰り返さないためには、多様な意見が共存し、対話を通じて新たな知見を生み出せる環境を整えることが不可欠だ。

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