「生活路線」が生む、深い旅の感動【リレー連載】現代人にとって旅情とはなにか(2)

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路線バスは、都市や地域の実情を知るための貴重な情報源であり、地域住民や運転士との自然な交流が旅情を生み出す。だが、モータリゼーションの進展や路線バスの廃止が進む中で、こうした機会は減少している。この記事では、筆者が経験した独自のバス旅と観光列車との違いを通じて、自然な交流の重要性を探る。

学生時代から始まった交通探求

路線バス(画像:写真AC)
路線バス(画像:写真AC)

 現代社会は効率性と合理性が求められる時代だ。私たちは日々の生活で時間を有効に活用し、成果を最大化することを優先するあまり、心の豊かさや感情の触れあいを犠牲にしがちである。しかし、旅はそんな現実から一時的に解放される貴重な機会を提供してくれる。

 旅情とは、単なる移動や観光にとどまらず、未知の地を踏みしめ、そこで出会う人々や文化、風景と触れ合うことで生まれる深い感情のことだ。旅先での小さな発見や、異なる環境の中で感じる自分自身の変化は、合理性を超えた価値を私たちに与えてくれる。

 このリレー連載「現代人にとって旅情とはなにか」では、現代人がいかにしてこの非合理的な旅情を大切にし、日常生活に取り入れていくことができるのかを探求する。さまざまな視点から旅の魅力をひもとき、心の豊かさを取り戻すヒントを提供することで、読者に新たな旅の楽しみ方を提案したい。これからの連載を通じて、旅の本質に迫り、ともにその価値を再発見していこう。

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 筆者(西山敏樹、都市工学者)は路線バスの専門家である。中学生の頃から路線バス事業をずっと研究対象にしてきた。

 小学生や中学生の頃は、東京の実家周辺で路線バスに乗りまくり、都内のあちこちをひとりで巡っていた。そのおかげで地理が得意になった。特に鉄道では行けない住宅地や団地を探検するような、少し変わった少年時代だった。

 高校生になると、さらに行動範囲を広げて路線バスで移動するようになった。混雑する観光ルートは避けて、本数が少ない生活路線にあえて乗り、楽しみながら都市や地域の現状を自分なりに学ぶようになった。

 京都を例にすると、観光客でにぎわう寺院周辺には行かず、大原~朽木、岩屋橋、鞍馬~広河原、周山といった山岳地帯をひとりで巡るような、少し変わった学生だった。

 今は都市生活をテーマにした学部や大学院で教えているが、今の専門領域はまさに高校時代までの経験で形成されたものだ。

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