“謎の航路”が5年ぶりに復活! 「イースタンドリーム」が見せる異国情緒と運賃倍増、日韓関係改善の象徴になれるか?
韓国・東海港から日本へ向かう貨客船「イースタンドリーム」。そんな航路が、コロナ禍や日韓関係の影響で一時休止。再開された2024年、運賃は倍増し、船内は韓国語とロシア語が飛び交う異国情緒満載。日本のフェリーにはない簡素な設備が乗客を待つ。
歴史をひもとく航路の系譜

東海で乗船したイースタンドリームには、すでに先客が数人いた。男性ばかりで、いずれもロシア語を話していた。彼らはウラジオストクから乗船していたロシア人だった。
商用なのか観光なのか来日目的はわからないが、その存在が「謎の航路」にさらに輪をかける。しかし、DBSクルーズフェリーの航路開設当時から、イースタンドリームは境港と東海さらにウラジオストクと、日韓そしてロシアの3か国を結んでいた。また、境港~東海区間の休止中も、韓国とウラジオストクを結ぶ航路は存続していた。
日本とウラジオストクを結ぶ航路。それは昔、欧州へとつながっていた。1912(明治45)年6月15日、東京駅から金ヶ崎(敦賀港)駅に直行し、ウラジオストクへの船便とシベリア鉄道に接続し、パリまで17日間で結ぶ欧亜国際列車の運行が始まった。そして欧州を目指す日本人の多くがウラジオ航路を利用し、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断していった。しかし第2次世界大戦の激化とともに欧亜国際列車も1940(昭和15)年に消滅した。
ウラジオ航路は、1956年の日ソ国交回復をうけ1961年に再開された。ただし、ウラジオストクは軍港として一部の例外を除き外国人の居住とソ連(当時)国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止される閉鎖都市だったため、横浜とナホトカを結ぶ航路として復活した。
1964年、日本人の海外旅行が自由化される。横浜港から欧州に向かう日本人を運んだのは、ナホトカ行きの貨客船だった。ナホトカ航路を就航させたソ連極東船舶公団(FESCO)とタイアップしたJTBの「ソ連セット」は1967年に発売開始される。
ソ連極東船舶公団船バイカル号は、今、船体をかすかに震わせながら、出航を待っていた。