台風10号接近! そもそも「計画運休」というアクションはいつから始まったのか? 鉄道業界の“安全革命”を振り返る
計画運休の定着とその背景

台風10号の接近に備えて、JRをはじめとする鉄道各社が早々に計画運休の情報提供を始めている。自然災害による大規模な運休や遅延が予想されるとき、計画運休は今や当たり前の措置となっているが、この「当たり前」を実現するには長い時間がかかったことをご存じだろうか。
計画運休が広く普及したのは最近のことだが、この言葉自体は以前から使われていた。ただし、その対象となる区間は非常に限られていた。例えば、1990年代の長野県豪雪地帯を走るJR飯山線と信越線では、冬場の除雪作業のために運休が行われ、そこで「計画運休」という言葉が使われていた。
「今冬一番の寒気が入り込んだ影響で、県北部山沿いを中心に降り続いた大雪は4日、峠を越えた。北部山沿いでは積雪が2メートルを超えた所もあり、JR飯山線、信越線は除雪作業などで5日も計画運休する」(『信濃毎日新聞』1999年2月5日付朝刊)」
台風や豪雨など、日本列島で毎年発生する災害に対して計画運休が実施されるようになったのは2000年代に入ってからだ。2001(平成13)年にはJR東海が計画運休を実施したことが報じられている。
「JR東海は、22日東海道新幹線の運転本数を始発から通常の3分の1に絞る異例の『計画運休』に踏み切った。昨年9月の東海豪雨では後続列車を次々と発車させ74本の列車が立ち往生、約5万人が車中泊したうえ、復旧に手間取った。今回はこの教訓を生かした措置で、駅間の立ち往生を避け、比較的スムーズに平常運転に復帰した」(『中日新聞』2001年8月23日付朝刊)
JR東海は、2000年9月の「東海豪雨」での大混乱を教訓に、2001年に大規模な運休を実施した。しかし、これは現在の計画運休とは異なり、
「間引き運転」
に近いものだった。それでも当時は異例の対応として注目された。