東京から「怪しい街」が次々と消えていく根本理由 安全・便利・快適だけで本当にいいのか?
「怪しい街」の未来

この現象は、消費社会の象徴であるオタク文化研究の初期に見られた傾向と似ている。
1989(平成元)年の『別冊宝島104 おたくの本』に収録された永江朗氏のルポルタージュ「アクション・バンダー汚れなき無差別テロ」では、政治的意図を持たずに警察無線を盗聴したり、政治団体の機関紙を購読したりする人々の存在が報告されている。永江氏はこうした行動を
「ハッカーたちの目にはプラスチック・マネーの社会は情報という迷路でつくられたファミコン・ゲームにしかすぎないのだ」
と、している。
結局のところ、「怪しい街」を楽しむ人々の行動原理はこれと同じだろう。再開発や治安の向上により、「怪しい街」は本質的な危険性を失った。そして、それゆえに、安全に「危険」を味わえる消費対象として人気が出たにすぎない。この現象は、「怪しさ」や「危険」を商品化し、消費対象とする社会の傾向を示唆している。
では、今後「怪しい街」はどうなっていくのだろうか。
残念ながら徐々に姿を消していくだろう。建物の老朽化や都市インフラの再整備の必要性から、変化は避けられない。
しかし、それで「怪しい街」が街から消えるわけではない。再開発計画が計画通りに進むことはなく、その隙間に新たな闇が生まれるからだ。
例えば、歌舞伎町が「健全な歓楽街」へと変貌を遂げた象徴である新宿東宝ビルが完成したとき、
「トー横キッズ」
という新たな闇が生まれることを誰が想像しただろうか。都市が発展すれば「怪しい街」が生まれるのは当然である。100年に1度の再開発が進む東京に、どんな新たな「怪しい街」が出現するのだろうか。
最後に問いたい。
安全で便利で快適だが、人々が暗い顔をしている「健全な街」と、混沌(こんとん)としているが、よくも悪くも人々が生き生きしている「怪しい街」、あなたはどちらを好むだろうか。