東京から「怪しい街」が次々と消えていく根本理由 安全・便利・快適だけで本当にいいのか?

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東京の街では、再開発や都市開発の波が急速に押し寄せ、かつての風情や独特の雰囲気を持った街並みが徐々に姿を消しつつある。多くの人々にとって、都市の発展や利便性は歓迎すべきものだが、同時に、どこか懐かしさや哀愁を感じさせる「怪しい街」へのニーズも根強い。

個性派商店が消えた街の風景

「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)
「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)

 その結果、古い商店街は大きく変貌を遂げた。多くの個人商店が姿を消し、チェーン店に取って代わられたことで、かつての「怪しい街」の特徴であった雑多な雰囲気や個性的な店は失われた。

 さらに、2000(平成12)年前後の法改正や規制緩和もこの流れに拍車をかけた。大規模な再開発が可能になり、土地の高度利用が進んだ。その結果、駅前を中心とした再開発事業が増加したことも、「怪しい街」の衰退に拍車をかけた。

 こうした変化の結果、かつてのような個性的な街並みは姿を消し、より開発された、しかし画一的な都市景観に取って代わられたのである。

「怪しい街」の衰退は、それらの街が“消費対象”となったことも大きく影響している。『孤独のグルメ』のブームや、立ち飲み・角打ち文化の変容はその顕著な例である。

「孤独のグルメ」から観光地へ

「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)
「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)

 1994(平成6)年に月刊誌『PANjA』(扶桑社)で連載が始まった『孤独のグルメ』は、当初まったく注目されず、1997年に単行本化された後も、2000年代初頭までほとんど取り上げられることはなかった。

 しかし、2000年代初頭から民間のインターネットサイトで再評価され始め、2012年にテレビドラマ化されると一大ブームとなった。

 この過程で作品の受け止められ方は大きく変わった。『PANjA』連載当時は、ハードボイルド出身の主人公の孤独や人生の悲哀が食事を通して表現されていた。

 しかしブーム以降は、主人公の奇行や特徴的な店の描写ばかりが注目されるようになった。

 その結果、作中に登場した店は観光地として消費されるようになった。例えば、作中に登場した赤羽のモデル居酒屋は行列のできる店となり、地元の人が気軽に入れない店の典型例となった。

 立ち飲み屋や角打ちの流行も、「怪しい街」の消費化の典型例だ。昔は、お金に余裕のない人や酒に溺れた人が利用するもので、一般庶民には敬遠されがちだった。よくも悪くも、そんなに“上等”な文化ではなかった。だからよかったのだ。

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