東京から「怪しい街」が次々と消えていく根本理由 安全・便利・快適だけで本当にいいのか?

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東京の街では、再開発や都市開発の波が急速に押し寄せ、かつての風情や独特の雰囲気を持った街並みが徐々に姿を消しつつある。多くの人々にとって、都市の発展や利便性は歓迎すべきものだが、同時に、どこか懐かしさや哀愁を感じさせる「怪しい街」へのニーズも根強い。

フィクションとしての「怪しい街」

「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)
「怪しい街」のイメージ(画像:写真AC)

 しかし21世紀に入り、これらは酒の新しい楽しみ方として見直されている。2000年代初頭には、立ち飲みや角打ちのスタイルを取り入れた、誰でも気軽に入れる店が登場した。

 2003年には、作家の中島らも氏らによる『せんべろ探偵が行く』(文芸春秋)が出版され、安酒場めぐりの文化が注目された。「せんべろ」は次第にブームとなり、2009年12月1日付の朝日新聞夕刊では、赤羽、王子、小岩、立石などの立ち飲み屋が男女の客でにぎわったと報じている。

 これらの現象は、「怪しい街」が消費対象となることで、「怪しい街」本来の雰囲気や文化が失われていく過程を示している。新しい価値観に基づく消費対象となったことで、「怪しい街」の消滅は加速している。

「怪しい街」の消費化現象は、ある意味で

「ダークツーリズム」

に類似している。ダークツーリズムとは、

「戦跡や災害被災地など、死・暴力・虐待などの悲劇にまつわる場所を訪問する観光」(JTB総合研究所)

のことだ。観光社会学研究者の須藤廣氏は、ダークツーリズムの特徴について興味深い指摘をしている。『立命館大学人文科学研究所紀要』111号の「現代観光の潮流のなかにダークツーリズムを位置づける」から引用する。

「人工的な「表象」と複雑性を抱えた「現実」が交錯するような「なまの現実」がテーマの体験型観光こそダークツーリズムの特徴である。このような「光」の表領域から「影」の裏領域へと侵入を試みる観光は、排除したはずの複雑性、多義性、他者性を社会のなかに再導入することによって、一方では日常に新しい視点と連帯をもたらす。また、一方では観光を政策の全面に押し出す行政やコンサルタントや観光業者に先回りされることによって、単なる「虚構」消費の一つ、あるいは政治的プロパガンダへと回収され「他者性」に向けた人々の主体的参与がスポイルされる可能性を持つ」

 今日「怪しい街」を楽しんでいる人々は、その場所の本質的な「怪しさ」や歴史的背景を深く理解していない。多くの人は興味すらないだろう。彼らは安全な環境のなかで「怪しさ」という

「フィクション」

を消費しているにすぎないのだ。

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