廃線跡の素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(7)
1980年代の国鉄末期に多くの貨物専用鉄道が廃止されたが、現代のトラックドライバーやバスドライバー不足を背景に、鉄道貨物の重要性が見直されている。
やばいポイント3「モニュメントからわかる様子」

夕張市民会館からさらに夕張の奥を目指すとそこには、広大な荒地が現れる。ここは北炭夕張炭鉱の跡地を活用して1977(昭和52)年に開業した「石炭の歴史村」の駐車場跡地で、1985年まではここに初代国鉄夕張駅があった。駐車場跡地への入り口付近には大正時代の夕張駅の写真を印刷した横断幕が張られており石炭産業に沸く当時の夕張駅の様子をしのぶことができた。
国鉄夕張駅は北炭夕張炭鉱の閉山にともなって出炭機能を停止したことから1985年に夕張鉄道の夕張本町駅のあった市民会館裏に移転。さらにJR化後の1990(平成2)年にはホテルマウントレースイ前に2度目の移転を行い、2019年に当時の鈴木直道市長の石勝線夕張支線の「攻めの廃線」によりJR夕張駅は廃止された。
夕張鉄道が函館本線から分岐していた江別市側の北海道電力江別火力発電所では発電に石炭が用いられており、江別駅と発電所の間では貨物列車による石炭のピストン輸送が行われていた。
専用線末期には三井芦別炭鉱の石炭が発電に使われており、三井芦別鉄道の頼城駅から石炭輸送が行われていたが、1989年の三井芦別鉄道の廃止にともなって専用線も運行を休止。その後、発電所は老朽化により1991年に専用線とともに廃止された。
江別火力発電所はドーム屋根の屋内貯炭場が特長であったが1992年に発破解体され、1996年に発電所跡地には札幌市豊平区里塚から北海道電力総合研修所が移転した。発電所への専用鉄道の跡地は、現在は四季の道という遊歩道となっており、その途中には当時活躍していたロッド式のディーゼル機関車と石炭車がそれぞれ1両ずつ静態保存されている。