廃線跡の素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(7)

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1980年代の国鉄末期に多くの貨物専用鉄道が廃止されたが、現代のトラックドライバーやバスドライバー不足を背景に、鉄道貨物の重要性が見直されている。

やばいポイント2「遺構発見時のテンション」

夕張鉄道線の廃線跡がそのまま転用された栗山町内の道路。筆者撮影(画像:櫛田泉)
夕張鉄道線の廃線跡がそのまま転用された栗山町内の道路。筆者撮影(画像:櫛田泉)

「きらら街道」は、野幌駅付近から夕張鉄道の旧北長沼駅の少し先までの廃線跡がそのまま道路に転用された。夕張鉄道線と国鉄室蘭本線との接続駅であった栗山駅周辺の廃線跡は農地などへの転用によりほとんどが消失してしまっているが、栗山町内の角田地区では廃線跡が単線路線の幅でそのまま道路に転用されていることから、ここが明らかな鉄道廃線跡であると一目見ただけですぐに判別することができる。

 現在、札幌市と夕張市を結ぶ唯一のバス路線となってしまった北海道中央バスの高速ゆうばり号は2024年9月末をもって廃止となる見通しであるが、このバスに乗るとこの夕張鉄道の廃線跡を跨線橋で超えるところがあり、バスの車窓から夕張方面に向かって一直線に向かって伸びる細道を見ると、かつてここには石炭を満載したたくさんの貨車を連結した蒸気機関車けん引による貨物列車がひっきりなしに走っていたという夕張の最盛期に思いをはせることができる。

 夕張鉄道線は夕張峠を、島根県の木次線の出雲坂根駅にあるような三段スイッチバックにより超えており、かつてはスイッチバックのあった夕張鉄道の錦沢駅を含む夕張市内の廃線跡はサイクリングロードとして整備されていたが残念ながら現在ではこのサイクリングロードも廃道となってしまっている。

 夕張鉄道線の終着駅であった夕張本町駅の駅舎は夕張市民会館と一体化した建物として1963(昭和38)年に完成した。夕張市役所に隣接した夕張市民会館は、現在は閉鎖され廃墟となってしまっているが、建物自体は現存している。夕張市民会館と夕張市役所の裏手には微妙な空き地が広がっており、ここがかつて線路だった場所だと思うとさらにテンションが上がる。

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