「日本に来ないで」 ネットにあふれる外国人観光客への罵倒! “観光立国”なんて実はタテマエ? 「外国人嫌悪」という現代病から考える

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長崎県対馬市の神社における韓国人観光客の出入り禁止措置の背景と影響などから、日本のゼノフォビアについて考える。

グローバリズムへの疑問

インバウンドのイメージ(画像:写真AC)
インバウンドのイメージ(画像:写真AC)

 ゼノフォビアは、人類の歴史を通じて普遍的に存在してきた。これは単なる偏見と片付けることはできない、人間の本能的な反応のひとつだ。日本も例外ではない。

 それでは、なぜ今、この問題が顕在化しているのか。端的にまとめると、次の三つが挙げられる。

●経済格差
 長引く不況下で、豊かなインバウンドの姿が日本人の自尊心を傷つけている。

●文化的圧力
 グローバル化にともない、欧米の価値観が押し付けられているという反発がある。

●社会変化への不安
 伝統的な価値観や生活様式の変化に対する抵抗感が、外国人の存在と結びついている。

 こうした感情は、世界的な反グローバリズムの潮流の一部であるといえるだろう。例えば、2024年のフランス欧州議会選挙における国民戦線の躍進が注目されたが、ゼノフォビアの流れが政治的な力となっているケースは世界中に数多くある。

 SNSを見ると、ゼノフォビアの理由としてマナーの悪さや犯罪への関与などを挙げることが多い。しかし、実際にはこれらはきっかけでしかない。根底には、グローバル化そのものへの疑問や反発があるのかもしれない。

 重要なのは、誰もが外国人に対して少なからずネガティブな感情を抱いていることを認識することだ。もし、国際派を自称し、そのような感情を抱いていないという人がいるのなら、それは自分を欺いているか、うそつきだ。

 最後に、私たちはインバウンドの促進にどう挑むべきだろうか。経済的利益を追求するだけでなく、他人のこうした複雑な感情にも対処する必要がある。簡単な答えはないが、この議論を避けることはできない。

 ゼノフォビアの問題は、私たちの社会のあり方を問うている。

「インバウンドの入国規制を徹底すべきだ」(右派)
「規制すれば日本はますます人権後進国になる」(左派)

といった“いつもの”意見は、今、最も必要とされていない。他人任せにして文句をいうのではなく、私たち自身が現状に責任を持ち、考えなければならないときはすでにやってきているのだ。

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