「アメリカ = 能力主義」はウソ? 自動車工場の日米比較でわかった虚構と現実
アメリカで能力主義が浸透しない理由

一般的にアメリカは「能力主義」だと思われているが、ブルーカラーの現場はそうではない(ホワイトカラーであっても、一部のエリート以外はブルーカラーと同じ)。
アメリカでは職務給という考え方が一般的で、ある職務についての詳細なマニュアルに基づいてその通りに働くことが求められる。もしマニュアル通りに働けなければ何らかの懲戒を受けるが、マニュアル以上の働きを見せてもそれによって賃金が上がるわけではない。また、勤続年数などによって一定程度上がることはあるが、20歳でも50歳でも同じ職務であれば、基本的に同じ賃金となる。
アメリカの自動車工場では組立工、溶接工、塗装工など200種類以上の職種があり、それぞれにマニュアルとそれに見合った価格(賃金)が決まっている。また、現場の労働者が上位職種の職長に昇進することもまれである。通常、職長は外部から採用される。アメリカではポストに空きが出れば、外部労働市場から採用するのが一般的であって、下位のポストから昇進させる内部労働市場は整備されていない。
アメリカで「能力主義」が浸透しない理由のひとつが、上司が働きぶりを評価することは不公正であるという感覚である。もちろん、経営側は労働のインセンティブを高めるために、企業が上げた利益を従業員に配分する分益制や、従業員持ち株制度などの手段をとっているが、従業員ひとりひとりを評価していくことには抵抗も大きい。
また、意外に思えるかもしれないが、アメリカにも年功序列がある。これが先任権制度である。先ほども述べたように、アメリカの賃金は年功制ではない。しかし、レイオフ(経営悪化に伴う一時解雇)においては勤続年数の浅い人から選ぶという原則がある。さらに工場内で同じ賃率の職種に移動するとき、高い賃率の職種に昇進するときもこの先任権が関わってくる。ずいぶんと硬直的な仕組みであるが、これにはアメリカならではの歴史が関わっている。
1930年代の世界恐慌まで、アメリカでは職長が移動・昇進・レイオフを取り仕切っていたが、職長のえこひいきが大きな問題となっていた。特に移民社会のアメリカでは、この職長の判断が従業員の能力ではなく、民族集団などの別の部分で行われているのではないかという疑念を持たれやすかった。
そこで、労働組合もこの職長の恣意(しい)的な判断を制限することを重要視し、先任権という権利が次第に確立していったのである。