「アメリカ = 能力主義」はウソ? 自動車工場の日米比較でわかった虚構と現実

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アメリカの自動車工場における「ジョブ型」の実態を解説。アメリカでは職務給という考え方が一般的で、マニュアル通りの仕事をこなす。また「能力主義」が浸透しない理由のひとつは、上司の不公正さにあるという。

日米で異なる「職長のあり方」

アメリカ国内を走る車(画像:写真AC)
アメリカ国内を走る車(画像:写真AC)

 アメリカの自動車工場内で人気だった職種は、工場内の清掃職やフォークリフトの運転手などだったという。これらの仕事はベルトコンベヤーのスピードではなく、自分のペースで働けるために人気があった。

 近年では改革によってこういった職種は減少しつつあるが、アメリカでは現場の労働者は職長に出世するということがあまりないということもあって、ベテランは楽な仕事に回りたがるのである。

 アメリカの自動車メーカーは、80年代になると日本の「集団主義 = チーム・コンセプト」に注目しはじめるが、そこで見逃されたのが日本の「能力主義」である。

 日本では作業者自身による改善活動が評価され、そこで優れた活動をしたものが昇進していく。これにより

「能力主義 → 改善 → 工数低減 → 要員削減」

の仕組みが回る。

 しかしアメリカでは能力主義の部分がないために、現場からの「工数低減」の提案は上がってこない。改善の提案は自分たちの労働強化や仲間の職を奪うことになるだけかもしれないからである。もちろん、アメリカの工場でも改革は行われているが、そこでネックになったのが職長のあり方だった。

 日本では現場の労働者が職長へと昇進していき、そこには仲間意識があるが、アメリカでは職長は経営側の人間であり、現場の労働者や組合と対立する存在になる。

 日本では考えられないことであるが、2000(平成12)年前後のアメリカでは職長の非正規化が進んだ。大卒の請負労働者が職長となり、現場を管理することが増えたのである。これによって人件費は削減できるが、当然ながら職長の役割は小さくなり、職長の存在は希薄になった。

 その後このやり方は問題視され、次第に姿を消したというが、アメリカの

・経営側(頭を使う人) VS 労働側(体を使う人)

という役割分担の根強さを表すやり方と言えるだろう。

 本書にはGMを中心としたアメリカの自動車メーカーがこうした問題にいかに対応していったかということも書かれているが、この経営と現場の乖離(かいり)というものは大きく、自動車産業のような高度な擦り合わせが求められる現場ではここが大きな問題となっている。

「アメリカ = 能力主義」という虚構

篠原健一『アメリカ自動車産業』(画像:中央公論新社)
篠原健一『アメリカ自動車産業』(画像:中央公論新社)

 このように、本書を読むとアメリカの自動車メーカーがいかなる課題に直面し、それをどのように乗り越えようとしているかがわかる。少し古い本だとはいえ、アメリカの自動車メーカーが置かれている状況を知るのに有益な本である。

 ただ、本書の面白さはそこだけにとどまらず、

・アメリカ = 能力主義
・日本 = 年功序列

という一般的なイメージを覆してくれるところにもある。生産現場においては、アメリカでは「公正ではない」と退けられた能力主義が日本では受け入れられているのである。

 また、本書はここ最近日本でも話題になっているジョブ型の働き方がどのようなものであるかを、わかりやすく実感させてくれるものとなっている。