ANAの生みの親は「朝日新聞」だった? 日本を代表する航空会社と大新聞社の知られざる蜜月関係とは

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日本の航空業界をリードするANAの誕生には、意外にも日本を代表するマスメディアのひとつである朝日新聞が深く関わっていた。なぜなのか。その歴史をひもといてみよう。

ヘリベンチャー「日ペリ」誕生

 翌1952(昭和27)年4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、GHQの占領政策は終焉(しゅうえん)を迎える。

 ようやく日本は再独立/主権回復を果たし、新たに制定した航空法に基づいて、民間航空会社の設立も晴れて解禁される。このため、「待ってました」とばかりに、民間16社が名乗りを上げるが、戦前の実績や人材確保、信頼度などを総合判断した結果、最終的に

・日本ヘリコプター輸送(日ペリ)
・極東航空

の2社が旧運輸省によって選ばれた。

 この日ペリこそが、興民社を母体に創設された純民間航空会社である。社長に美土路氏、常務に中野氏がそれぞれ就任し、資本金1億5000万円、社員16人、ベル47D-1型ヘリコプター2機でスタートした。

 保有機は固定翼ではなく、あえてヘリを選んだのが少々不思議に感じる。これは中野氏の機転らしく、終戦直後の当時、まともに滑走路が使える飛行場は全国に数えるほどしかなく、大半は空襲でやられて穴だらけのまま放置された状態か、または在日米軍に接収されていた。その点ヘリならば、わずかなスペースで発着が可能で、戦後復興関連の需要が多く見込まれる、と中野氏は読んだのである。

 ただし、当時としてはヘリ・ベンチャーにすぎない日ペリなど、知名度や企業としての信用度などゼロに等しく、資金繰りに困ることは自明の理だった。だからこそ、事業を事実上主導する中野氏は、人脈の広い美土路氏を、何としても社長の椅子に座らせて、「顔」を担保に投融資を図ろうと考えたようである。

 中野氏の作戦は的中し、会社設立の発起人には古巣の朝日新聞はもちろん、

・第一物産(現三井物産)
・富士製鉄(現日本製鉄)
・東京電力
・住友銀行(現三井住友銀行)
・名古屋鉄道
・日本商工会議所

など、“日本株式会社”の首脳クラスが顔をそろえた。もちろん、大半が美土路氏のコネによるもので、銀行からの融資も、発起人のそうそうたる顔ぶれが、そのまま絶大な与信となった。

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