ANAの生みの親は「朝日新聞」だった? 日本を代表する航空会社と大新聞社の知られざる蜜月関係とは

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日本の航空業界をリードするANAの誕生には、意外にも日本を代表するマスメディアのひとつである朝日新聞が深く関わっていた。なぜなのか。その歴史をひもといてみよう。

EVへの挑戦

朝日新聞のウェブサイト(画像:朝日新聞)
朝日新聞のウェブサイト(画像:朝日新聞)

 さらに当時はガソリンも入手困難だったため、これをチャンスととらえ、電気自動車(EV)の開発・販売にも挑戦した。

 この頃日本の発電の主力は水力で、発電量にもまだ余裕があった。この電力を鉛蓄電池に充電し、これでモーターを回して自動車を動かせば、もうけになるはず、と算盤をはじいたようである。しかも人材として航空関係者を多数抱えており、彼らにとって電気・機械工学は、まさに朝飯前だった。

 現在、米テスラ社や中国比亜迪(BYD)社が世界のEV市場を席巻するが、ANAの前身がすでに70年以上前に、この先進的なモビリティ・ビジネスに参入していたとは意外だろう。

 ところがふたを開けて見ると、当初はそれなりに売れたEVだったものの、そもそも充電ステーションが数か所しかなく、充電時間も一昼夜かかってしまう点がネックとなり、クレームと返品が殺到し、事業は大失敗に終わる。

 1950(昭和25)年に朝鮮戦争が発生すると、突如転機が訪れる。参戦する国連軍(大半は米軍)は、日本で軍用機を大量に修理・整備する必要に迫られる。そこでGHQは日本での民間航空事業を一部解禁して協力を求め、その後も禁止措置は徐々に緩和されていく。

 その結果、1951(昭和26)年には日本資本による国内航空輸送事業も認可され、国策の「日本航空株式会社」、つまり「鶴丸マーク」のJALが誕生する。

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