徒歩わずか7分! 「西日暮里駅」から日暮里駅までの距離がメッチャ短い理由
高輪ゲートウェイ駅「開業4周年」

JR山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)が開業してから早くも4年がたつ。
開業日は2020年3月14日、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が深刻化している最中だった。普段山手線を利用する人たちのなかには、パンデミック(世界的大流行)という未曾有(みぞう)の状況によって時間の感覚がゆがめられ、遠い昔の出来事のように感じる人もいれば、つい昨日のことのように感じる人もいるかもしれない。
高輪ゲートウェイ駅は、京浜東北線の駅としては2000(平成12)年に開業したさいたま新都心駅以来、山手線の駅としては21世紀初、令和初であることはもちろん、
「国鉄がJRに移行してから初めての新駅」
である。では、山手線にとって2番目に新しい駅はどこか。
「恋の山手線」に未登場の駅

ここからは話の舞台を2020年代から1960年代に移したい。1964(昭和39)年3月20日に「恋の山手線」というシングルレコードがリリースされた。歌ったのは歌手としても多くのヒット曲を持つ日活の映画スター・小林旭だ。
「恋の山手線」は、巧妙な駄じゃれを用いて山手線の駅名を上野駅から内回りの順番で織り交ぜながら、会社員らしきカップルの恋愛模様を描いたコミカルな歌詞が特徴である。小林旭の抜けのいいボーカルが、東京オリンピックを控え活気に満ちた東京の明朗さを表現している。
だが、「恋の山手線」の歌詞には、高輪ゲートウェイ駅以外に三つの駅が登場しない。それは、
・西日暮里駅
・新大久保駅
・浜松町駅
だ。この3駅はリリース当時に開業していなかったから──と勘違いされがちだが、実際にはそうとも限らない。
・浜松町駅:1909(明治42)年12月16日開業
・新大久保駅:1914(大正3)年11月15日開業
歌詞に取り入れられなかった理由は不明だが、上記2駅は「恋の山手線」がリリース時点にはとっくに存在していた。
山手線は、明治時代に民営の「日本鉄道」が品川~赤羽間に路線を建設したことに始まる。1906年に日本鉄道が国有化され、その3年後には電化されている。環状運転のスタートは1925年だ。
現在ある30駅のうち24駅が明治時代に開業されており、大正時代になると
・新大久保駅
・東京駅
・御徒町駅
・神田駅
の4駅が誕生。つまり、昭和初期の時点で山手線はほぼ現在の形に近づいていたのである(その他、現在のJR板橋駅もかつては山手線の一部だった)。
明治時代に24駅、大正時代に4駅となると、高輪ゲートウェイ駅以外に、昭和以降に開業した駅はひとつしかないことになる。その駅こそが、山手線で2番目に新しい駅だ。「恋の山手線」の歌詞に登場しない
「西日暮里駅」
だ。