徒歩わずか7分! 「西日暮里駅」から日暮里駅までの距離がメッチャ短い理由
高輪ゲートウェイ駅は、国鉄がJRに移管されてから初めての新駅であり、2番目に新しい駅は西日暮里駅である。この駅の謎が解けた。
地上駅・地下駅を同時新設のレアケース

地上の鉄道と異なり、東京の地下鉄が広く発展したのは戦後である。東京メトロの前身である帝都高速度交通営団(営団)丸ノ内線の開業は1954(昭和29)年。その後、日比谷線、東西線が続いた。そして、戦後第4の路線として1969年に開通したのが千代田線だ。
営団は千代田線の新設にあたり、日暮里駅と接続する駅の建設を想定した。もともと日暮里駅は、国鉄の京浜東北線、山手線、常磐線の停車駅であり、京成電鉄の本線とも接続する駅である(現在は日暮里・舎人ライナーとも接続)。日暮里で千代田線と上記路線の乗り換えができれば利便性は格段にアップする。また、通勤ラッシュ問題解決の一助にもなることが見込まれた。
そこで、営団は何枚かの青写真を描いた。1枚は日暮里駅の真下に地下鉄駅新設するプランだ。しかし、
「千代田線日暮里駅」
はコストがかかりすぎるということで幻に終わった。
また、日暮里駅から少し離れた道灌山(どうかんやま)と国鉄が交差する付近に地下鉄駅を作り、日暮里駅と地下通路で結ぶというプランもあったが、これも流れた。利便性の面で“難あり”と考えられたようだ。
そして、青写真の残る1枚が、同じく日暮里駅から少し離れた道灌山と国鉄が交差する付近に、国鉄と営団の双方が新駅を作り、地上と地下を直結するというものである。国鉄にとっては新たに多額の資金を捻出する必要がある計画だったものの、検討の結果、ゴーサインを出すに至るのだ。つまり西日暮里駅は、
「地上駅と地下駅がほぼ同時に計画された」
昭和の都心においてまれな例なのである。補足すれば、地下鉄の西日暮里駅が1969年12月20日に先行して開業し、翌年の4月20日に国鉄の西日暮里駅がスタートしたという流れだ。