いきものがかりの聖地「小田急富水駅」 デビュー曲「SAKURA」ミュージックビデオの桜はなかった【連載】移動と文化の交差点(2)

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いきものがかりの「SAKURA」を通して、放送局とミュージックビデオの関係を考える。

MV「駅」が抱える意味

東急東横線の旧渋谷駅(画像:写真AC)
東急東横線の旧渋谷駅(画像:写真AC)

 MVのみならずタイトル、歌詞に駅や駅舎が頻繁に登場するのは、例えば1987年の竹内まりや「駅」がその意味を象徴しているかもしれない。

 1987(昭和62)年の竹内まりやの「駅」のように、MVだけでなくタイトルや歌詞にも駅や駅舎が頻繁に登場するのは、その意味を象徴しているのかもしれない。

 この曲は、女性が駅で見覚えのあるレインコートを着た男性を見かけるところから始まる。そして、その男性がかつての恋人だったというストーリーが展開する。この曲はもともと中森明菜に提供されたものだが、竹内自身がカバーしたことでヒットした。

 曲のモチーフは、今はなき東急東横線の旧渋谷駅である。駅とは、人々が行き交う場所である。始発駅であったり、終着駅であったり、乗換駅であったりする。また、彼らの生活や人生が表面化する場所でもある。また、都市においても重要な役割を果たしている。つまり、その利便性において重要な機能を担っているのだ。

 駅は音楽や他のコンテンツにも頻繁に登場し、その意味を広くアピールし続けている。また、さまざまな物語を提供し続けている。駅は、意識しなければ日常生活の通過点にすぎないが、ふと立ち止まって見れば、私たちの生活や人生に大きな役割を果たしていることに気づくに違いない。

 そういえば、もうすぐ「SAKURA」の季節がやってくる。寒い日々もしばしの辛抱である。

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