異彩のフラッグシップ! 日産「インフィニティQ45」のグリルレスはむしろ偉大なる個性だった【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(7)
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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。
存在感は「レクサス」級
バブル経済全盛期の1989(平成元)年11月、日産は前月の10月に発売され大きな注目を集めていたトヨタ・セルシオに対する真っ向勝負の回答というべきフラッグシップを市場に投入した。その名は「インフィニティQ45」である。
ギリギリ1980年代の発売ではあったものの(本連載のテーマは1990年代の車)、自動車業界での一般認識としてはその年の秋以降にデビューしたものは翌年のイヤーモデルとして扱われるのが常。その意味で、インフィニティQ45は日産が来るべき1990年代に向けて放ったメッセージ代わりの1台という大きな意味があった。
「無限」を意味するインフィニティという名称は、日産が北米市場でのプレミアムラインを担うべく創設した新たなブランドだった。すなわち
「トヨタにおけるレクサス的な存在」
だった。
トヨタは当初レクサスブランドを日本国内では使用しなかったのに対して、日産はインフィニティをあえて使った。その背景にはグローバル展開を通じて、ユーザー層に日産の新たな戦略をアピールするという大きな目的があったためである。
こうした複雑な思惑とともに市場に投入されたインフィニティQ45は、4年前にコンセプトカーとして発表済みだった日産CUE-Xのテイストを踏襲していた。その意味では完全なブランニューモデルというわけではなかったが、
「コンセプトカーに近い状態」
で市販化までこぎ着けるという例は多くはなく、その意味でも特別な存在だったことがわかる。
インフィニティQ45は、紛れもなく日産の頂点に君臨するフラッグシップではあったものの、当時の日本において一般的なユーザーが抱くフラッグシップ、すなわち高級車とは一味異なっていたのが特徴である。