「水害都市」だった江戸 その歴史から災害対策に生かす術を考える【連載】江戸モビリティーズのまなざし(18)
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洪水対策の名残の地名

江戸幕府も、決して手をこまねいていたわけではない。すでに幕府初期から各地に堤を造成するなど、対策を講じてきた。
例えば、東京都台東区には現在も「日本堤」という町名がある。これは1620(元和6)年、隅田川沿いに築かれた洪水対策の名残だ。堤の長さは8丁(約800m)だったという。のちの時代にはこの堤が、人々が遊郭の吉原へ向かう際の道となる。なお、日本堤は1927(昭和2)年に取り壊されることになり、1975年に姿を消した。
隅田川は春になると桜の名所としてにぎわうが、この桜並木も、そもそもは洪水対策として植樹されたものだ。土手に桜を植え、根を張らせることによって、堤の強度を高める狙いがあったという。
また、土手を人が頻繁に通れば、土を踏み固めることにつながる。吉原への通り道にし、桜見物に大勢が押し寄せるようにしたのも、実は土手をより強固にする方法だったというのだ。江戸時代の人々の考えは合理的で、したたかだった。
前出の竹村公太郎は、『バカの壁』(新潮新書)の著者・養老孟氏との対談(PHPオンライン、2019年10月18日配信)で、こう述べている。
「先進国で、これほどの湿地帯を上手に隠して、巨大なビル群を造ったのは日本だけです。他の先進国はみんな高台に都市を造っている。だから先進国の中で海面上昇によって最も大きな影響が出るのは日本です」
温暖化による水位上昇が、洪水が東京を襲うリスクを、より高めていると指摘している。もはや江戸時代のような土手造成や植樹では、防ぎきれないだろう。抜本的な対策が求められている。
●参考文献
・広重の浮世絵と地形で読み解く江戸の秘密 竹村公太郎(集英社)
・荒川上流改修六十年史 荒川下流改修七十五年史(関東地方建設局)
・家康の都市計画 谷口榮(宝島社)
・地名は災害を警告する 遠藤宏之(技術評論社)
・竹村公太郎・養老孟司対談 信玄堤を鉄壁にした武田信玄の「斬新なアイデア」(PHPオンライン)