「大阪・関西万博」 国民の共感を得るにはどうしたらいい? パビリオン開発だけじゃない、その“意義”について再考する
大阪・関西万博は3回目の登録博となる。総合的なテーマの一般博・登録博では未来のモビリティが登場することが多い。過去の一般博・登録博で特に印象に残っているモビリティをあげる。
1970年大阪万博のインパクト
万博には登録博(旧一般博)と認定博(旧特別博)があり、最大規模の一般博・登録博は日本で大阪万博(1970年)、愛・地球博(2005年)の2回開催された。
今回の大阪・関西万博は3回目の登録博となる。海や花・自然など明確なテーマを設定する認定博は別として、総合的なテーマの一般博・登録博では未来のモビリティが登場することが多い。過去の一般博・登録博で特に印象に残っているモビリティをあげた。
日本で初めて開催された万博は1970年の日本万国博覧会(大阪万博)である。テーマは「人類の進歩と調和」。万博はオリンピックと同じく、世界規模の大型イベントを実施できる国力と信頼を持つほどに国家として成長したことを国内外に示し、先進国の仲間入りを果たす意味合いがあった。
国民の関心は非常に高く、183日間の会期で6422万人、1日平均35万人を集客し、すさまじい人出だったことがわかる。大阪万博では太陽の塔、月の石などさまざまな展示が話題になったが、「動く歩道」も大阪万博を象徴するもののひとつである。
動く歩道は会場内を誘導する輸送機関として20か所ほど設置された。地上約5mの高架に設置されたチューブ状の構造物のなかに往復2本の歩道を設置し、ベルトコンベヤーの原理で上に人を乗せて運ぶ構造である。
観客が疲れないで楽しみながら広い会場を巡れるようにとの配慮から導入されたものだ。SFの未来都市に出てくる光景といった呈でもあり、「未来は歩くことも自動にしてしまうのか」と感嘆をもって受け止められた。
今は駅や空港など長距離を歩かなくてはならない場所でよく見かけるが、当時はもの珍しさから体験すること自体を目的に利用する人が多く、会場の混雑もあって度々停止する故障や、けが人の出た事故も起きていた。