四国新幹線「岡山ルート」で4県一致も 人口減少止まらぬ厳しい現実、昭和の“カミソリ後藤田”も「必要ない」と明言していた!
北陸新幹線の金沢~敦賀間開業を来年春に控え、「四国にも新幹線を」という機運が高まっている。四国4県の政財界が「岡山ルート」で一致団結した今、建設は実現するのか。
新幹線のルートをめぐる県同士の争い

本四連絡橋をめぐる論争が一段落した後、新たな問題として浮上したのが、開発計画にすぎなかった新幹線のルートをめぐる県同士の争いだった。正確には、瀬戸大橋を使った新幹線建設を望む3県と、大鳴門橋を使ったルートを望む徳島県との争いだった。
徳島県は大鳴門橋から淡路島を経由し、明石海峡大橋で本州と結ばれている。しかし、大鳴門橋には鉄道用のスペースがあるのに対し、明石海峡大橋は純粋な道路橋である。また、新幹線用の線路部分がある瀬戸大橋と違い、大鳴門橋には鉄道用のスペースはあっても橋桁はなかった。
このような不十分な構造が作られたのには理由がある。神戸・鳴門ルートの計画当時、建設省と運輸省は明石海峡大橋に鉄道を架けるのは
・技術的困難
・建設費
の問題から難しいと判断した。そのため、先に着工していた大鳴門橋を道路橋として建設することになった。しかし、これには徳島県を地盤とする三木武夫(元首相)が異論を唱えた。
三木は、将来的には鉄道併用橋が必要だと強く主張した。三木がここで主張したのは、紀淡ルートによる接続案だった。和歌山県と淡路島を結ぶ紀淡海峡にトンネルを掘り、明石海峡大橋が無理でもこのルートに鉄道建設は可能だとして、鉄道用のスペースの確保を実現したのである。