鬼怒川が衰退し、箱根が「一大観光地」であり続けるワケ

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神奈川県西部に位置し、日本を代表する観光地・箱根――。そんな箱根には現在、インバウンド(訪日外国人)が殺到しているが、インバウンド需要以前の箱根の“ドル箱”は修学旅行生だった。

平成からレジャー化した修学旅行

箱根(画像:写真AC)
箱根(画像:写真AC)

 戦後、修学旅行が盛んになるにつれ、箱根でも修学旅行の受け入れ態勢が整えられた。1954(昭和29)年、修学旅行生を誘致するために箱根学生旅館連盟が結成され、41の旅館・ホテルが加盟した。

 当時は修学旅行以外でも団体旅行が主流だったため、投資は加速度的に進んだ。そこで箱根は、修学旅行に対応するための大部屋、大浴場、大食堂への投資を本格化させた。その結果、箱根は関東や中部地方の小中学校の間で、修学旅行に最適な場所として広く認知されるようになった。

 昭和50年代のピーク時には、年間90万人以上の修学旅行生が箱根を訪れた。特に、多くの小学校が箱根を選んだ。こうした修学旅行生が箱根の魅力を広め、大人になってから再び訪れることで、箱根の繁栄は続いた。

 しかし、昭和が終わると変化が訪れた。修学旅行が

「レジャー化」

したのである。1980年代までは、修学旅行は学校教育の一環として行われるのが一般的で、前述のような自然や歴史的な名所を事前に選定し、学習していた。

 しかし、次第にテーマパークや海外旅行、スキー旅行などが修学旅行に選ばれるようになっていった。テーマパークは治安がよく、海外旅行は語学力の乏しい生徒が勝手に行動する可能性が低く、管理がしやすいためだ。

旅館からホテルへ人気移行

箱根(画像:写真AC)
箱根(画像:写真AC)

 宿泊施設では、広い和室は好まれなくなり、ホテルが使われるようになった。旅館の大部屋を利用した修学旅行も過去のものとなった。

 竹内秀一「修学旅行の歴史」(2019年。『運輸と経済』第79巻6号)は、旅館とホテルの利用率を示している。

●中学校
ホテル(洋室中心): 55.90%.
旅館(和室中心): 33.70%.

●高校
ホテル(洋室中心): 75.30%.
旅館(和室中心): 17.30%.

 旅館を体験する修学旅行はすでに少なくなっている。修学旅行だけでなく、団体旅行から個人旅行へと旅行形態が変化したことで、大規模な施設を持つ宿泊施設が減少していった。有名なところでは、多くの廃墟が存在する鬼怒川温泉(栃木県日光市)である。

 箱根では修学旅行生の減少に加え、大涌谷周辺での火山活動の活発化で活動が激減し、2018年に箱根学生旅館連盟は役割を終えたとして解散した。

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