東急創業者はなぜ“強盗”と呼ばれたのか? 鉄道会社と敵対的買収、不採算路線切り捨てに巣食う現代の“物言う株主”たち

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鉄道業界は、かつて激しい買収劇が繰り返されていた。東急グループの創始者・五島慶太のエピソードと、今後の鉄道会社が直面するリスクについて考える。

三越乗っ取りも画策した五島

日本橋三越本店(画像:写真AC)
日本橋三越本店(画像:写真AC)

 五島が狙ったのは鉄道だけではない。1938(昭和13)年の春には五島は三越の乗っ取りを画策する。

 五島は三井銀行の前山久吉が亡くなったときに三越の株10万株を買い取り、東横百貨店を三越の渋谷支店にしようと考えたのだ。しかし、『私の履歴書』で五島のいうには、三越は慶応閥の牙城で、まずは三井銀行にはたらきかけて五島への融資を停止させ、さらには三菱銀行からの融資も停止させたという。時の蔵相兼商相の池田成彬や小林一三からも思いとどまるようにいわれて、さすがの五島も三越の乗っ取りをあきらめた。

 この三越の乗っ取り画策とともに、

「強盗慶太」

の名前を一段と高らしめたものとして、『私の履歴書』のなかで五島が自らあげているのが「地下鉄争奪戦」である。

 五島は渋谷~新橋間の地下鉄をつくるために東京高速鉄道を設立する。五島の計画では、新橋以東はすでに浅草~神田~新橋間で開業していた東京地下鉄道と結ぶものだったが、東京地下鉄道の早川徳次はこれに反対し、京浜電鉄と結んでこれに対抗しようとした。

 早川を説得できなかった五島は、東京地下鉄の経営権を掌握して早川を追い出すほかないと考え、大株主だった穴水熊雄のもとに日参し、穴水が持っていた東京地下鉄株45万株の買い取りに成功する。

 そして、早川を追い出して、現在の東京メトロへと至る地下鉄を作り上げていったのだ。ちなみに『私の履歴書』には、早川は早稲田出身だから慶応閥の銀行は早川を擁護しなかったと書いてある。

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