自動車は「社会のガン」 ノーベル賞に最も近い日本人経済学者はなぜ自動車を大批判したのか? 事故・公害・犯罪を誘引、SDGs社会で再考する
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「ノーベル経済学賞に最も近い日本人」といわれた経済学者・宇沢弘文。そんな宇沢はなぜ自動車の存在を非難したのか。改めて考える。
新古典派経済学批判の作品
今回紹介する宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波書店)は、戦後の日本を代表する経済学者(「ノーベル経済学賞に最も近い日本人」といわれた)による新書の古典ともいうべき存在であり、1974(昭和49)年に初版が刊行されて以降、今も版を重ねている。
人々の生活にとって非常に便利なものである自動車は、同時に
・交通事故
・公害による健康被害
・自動車通行のための道路整備
など、さまざまな費用を発生させている。
本書はこうした自動車の
「外部不経済」
を指摘した本であり、同時に当時主流だった(基本的には今も中心的存在である)新古典派経済学を批判的に検討した本である。
ここでは本書の内容を改めて振り返るとともに、自動車をめぐる状況の変化を考えてみたい。
自動車は「ガン細胞」
宇沢は
「自動車はじつは、ガン細胞と同じように、経済社会自体をやがては破壊する性格をもっていたが、人々がこのことに気付くまでにすでにかなりの期間が経過してしまっていた」(28ページ)
と書いた上で、その症候として、
・交通事故
・公害
・犯罪
の増加といったものをあげている。
最後の犯罪については、交通犯罪だけではなく銀行強盗なども自動車があってこそ容易になったと宇沢は考えている。
こうした問題が起こってしまうポイントとして、宇沢は
「自動車通行にともなう社会的費用を必らずしも内部化しないで自動車の通行が許されてきたということがあげられる」
と述べている。