いまだ闇の中? 都内23区をぐるりと回る「東京環状地下鉄構想」の現在、結局どこへいったのか
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「そういえば、わが街の地下鉄環状線計画はどうなったのか」と思い出した都民も少なくないだろう。地下鉄環状線計画とは、俗にいう東京地下鉄環状線構想のことだ。いったいどこへいったのか。
「東京地下鉄環状線構想」とは何か

このニュースの見出しを読んで、「そういえば、わが街の地下鉄環状線計画はどうなったのか」と思い出した都民も少なくないだろう。地下鉄環状線計画(以下、環状線)とは、俗にいう「東京地下鉄環状線構想」のことで、正式には「区部周辺部環状公共交通」と呼ぶ。
都心から10~15kmの地点をぐるりと周回する環状道路、環状七号線(都道318号)の東側部分と、23区西部を走る環状八号線(都道311号)の真下に地下鉄を走らせる壮大な構想だ。
想定ルートは、東急東横線の田園調布駅(大田区)から、
・世田谷
・杉並
・練馬
・板橋
・北
・足立
・葛飾
・江戸川
の計9区を横串で連絡し、JR京葉線葛西臨海公園駅(江戸川区)に至るもので、全長は60kmを優に超える。
両道路の整備が進む1970年代後半~1980年代半ばに構想は持ち上がり、当初は「環八」側の6区(大田、世田谷、杉並、練馬、板橋、北)が「エイトライナー」、「環七」側の3区(足立、葛飾、江戸川)が「メトロセブン」と、それぞれ道路名にちなむ看板を掲げた促進協議会を旗揚げし、別々に活動していた。
1997(平成9)年に利害が一致する両者は連携し、メトロセブンの計画をJR京浜東北線赤羽駅(北区)まで西に伸ばしてエイトライナーと合体・一本化して国や都知事に働きかけを行っている。