東海道の旅、江戸から伊勢までの「旅費」はいくらだった? トラップだらけの道中をたどる
3か月で100万円

箱根を超え大井川を超え、どうにかこうにか伊勢に着いた。このあと、もろもろ物見遊山をして江戸に帰る。さて、旅費と日数はいかほどになるだろうか。
1845(弘化2)年、武州喜多見村(現在の東京都世田谷区あたり)の農民がお伊勢参りをして戻ってきた記録によると、出立は1月22日。六郷の渡しで多摩川を渡り、川崎から東海道に入る。伊勢参りのあと大阪や琵琶湖を見て回ったあと、4月20日に帰ってきたとある。ちょっとした留学か短期の出向だ。
料金もそれなりにかかった。六郷の渡しで16文、川崎でわらじを買って20文、戸塚宿で宿代200文、食事代、土産代、茶屋代などなどで5両2分。現代で換算すると、物の価値や考え方で大きく違いが出るが、100万円は軽い。
もっとも、この例は随分と裕福な農家の家だったようで、芝居見物をするなどおごった旅だったようだ。一般的には、伊勢には2両ほどで行こうと思えば行けたらしい。それでも40万ほどかかっている。
ぜいたくするなら近場がおすすめ

このような長旅は、やはり庶民にはハードルが高かった。江戸からのレジャー旅なら、大山詣や江ノ島詣が気軽だったようだ。
安政年間の記録によると、江ノ島詣に5人で出掛け、戸塚泊まりをせずにいきなり品川宿に泊まって遊んで、6泊して4両2分2朱だったという。
6泊して、しかも品川で遊んで、名物を食べるというぜいたくな旅で、ひとり分1両もかかっていない。近場でなら15万円そこそこでまあまあなぜいたくな旅ができたというわけだ。
江戸の人々にとっても旅先の天災や疫病は怖いものであったが、それでも人々は旅に出て新しいものを見たり食べたりなど体験しようとした。戦がない太平の世だからこそ、旅は人々の楽しみと成り得たのだ。
コロナが5類となったとしても、基本的な感染予防と自分を守る行動は必須だ。これからまた、旅を心おきなく楽しめる日常が続きますように。