東海道の旅、江戸から伊勢までの「旅費」はいくらだった? トラップだらけの道中をたどる
意外と安い宿場の宿代

江戸時代の旅の方法は、飛行機も新幹線もないのだから、徒歩かかごか馬、舟ということになる。しかし、かごも馬も大変に高価なので、交通手段はもっぱら徒歩か、落語の演目にもなっている三十石舟(米30石相当の積載能力を有する和船)などの舟だ。
とはいえ川を使って行ける場所というのは限られているため、大抵は徒歩だ。そうなると日数がかかるというわけで、心配になるのが宿代、宿泊費である
宿場の宿には、
・旅籠宿
・木賃宿
の2種類があった。木賃宿は、米を持ち込む自炊が基本で、相部屋・雑魚寝の宿をいう。東海道中膝栗毛では弥二さん喜多さんが米を持ち込めずに食事がとれないという描写があり、なかなか世知辛い。
木賃宿は江戸初期には4文から16文、場所や時代によっては32文ほどだったらしい。16文といえば、そばの値段だ。江戸初期のそばは8文ほどだったので、そば2杯分で宿泊できる激安宿だったことがわかる。
宿場にやってくる飯盛り女

旅籠宿の方は、1泊2食付きで200文から300文。幕末の安政年間では東海道筋の旅籠は200文、中山道筋では148文だった。現在の貨幣価値でいうと5000円強である。これで2食付きなら安い。もっとも、食事と行っても豪華なものではなく一汁一菜が基本で、ここに皿(焼き魚や煮魚)が付くとお得である。
金を払えば高級宿に宿泊できるのは今と同じだ。1853(嘉永6)年の「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によると、近江や大阪の豪商が宿泊するような京都の旅籠には、500文のところもあったという。
1泊2食付きの旅籠と行っても、宿代だけで済まされるものではなかったらしい。宿場には飯盛り女(宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、売春も兼ねて行った女)や按摩(あんま)が常駐し、隙を見ては飯盛り女が「給仕はどうか(給仕だけでは済まされない)」、按摩が「腰と脚をもみましょう」とやってくる。部屋には「土産物はどうか」と饅頭の売り込みが来る。
宿代だけではなく小銭も相当使わされることは旅人もへきえきしていたらしく、飯盛り女を置かない宿のガイドブックが売れたほどだ。