東海道の旅、江戸から伊勢までの「旅費」はいくらだった? トラップだらけの道中をたどる

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江戸時代の旅は大抵、徒歩だ。そうなると日数がかかるというわけで、心配になるのが宿代、宿泊費である

大井川越えに頭を抱えるお殿様

「東海道五拾三次 嶋田・大井川駿岸」歌川広重(画像:国会図書館デジタル)
「東海道五拾三次 嶋田・大井川駿岸」歌川広重(画像:国会図書館デジタル)

 宿泊費の次に意外とかかるものとして、川越えがあった。川越えとは、橋のない川を渡し船や川越え人足に担いでもらって超えることで、天候に大きく左右された。

 江戸時代、大きな川の架橋には制限があった。これは戦国時代の名残であり、国を超える敵の足止めが目的だったとされている。江戸でも、大川(隅田川)を渡す橋は千住大橋だけだったため、明暦の大火では避難できずに多くの死者を出した。

 その後、江戸では両国橋、永代橋を始めとして大川に橋が渡され、経済も町の規模も発展したわけだが、東海道の幾多の国を渡す川には、太平の世となっても架橋は許されていなかった(お金がなかったということもある)。

 東海道で越えねばならない大きな河川には、多摩川、相模川、大井川、天竜川などがある。多摩川は六郷の渡し、相模川は馬入の渡し、天竜川は池田の渡し(時代によって名称が違う)など舟で渡る。料金は16文ほどで、そば1杯分で妥当な線だろう。

 問題の川越えは大井川であり、東海道の難所に数えられていた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という馬子唄があるように、山であれば馬でもなんでも使えば越せるが、大井川は舟という手段もなく、どうしようもなかったらしい。

 大井川の川越え手段は、川越え人足への依頼一択だ。もともと大井川はさほど深い川ではなかったらしいのだが、都市化が進み河川の開発が進むにつれ深さが増した。旅人がひとりで渡すことはできず、川越えのプロの力を借りねばならなくなってしまったのである。

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