東海道の旅、江戸から伊勢までの「旅費」はいくらだった? トラップだらけの道中をたどる
江戸時代の旅は大抵、徒歩だ。そうなると日数がかかるというわけで、心配になるのが宿代、宿泊費である
足止め食えば宿泊代もかさむ
これが豪雨や台風などで増水になると川越えができず、旅人たちは足止めを食ってしまう。「川留め」と呼ばれ、庶民も大名行列もこれには泣かされた。川越え料金に加え、宿泊代がその分余計にかかるからだ。7日目ともなると、もう帰りたくなる。
大井川では、水深が4尺5寸(1.35m)になると、人は渡ることができず川留めとなった。常水(水深75cm)となると川明けとなるが、すぐに渡れるわけではない。
連台の御状箱(公文書)が先で、大名、馬と続き、最後にやっと人足肩車だ。川明けには、川留めを食らっていた旅人が一斉に出立するので、大井川で人足の渋滞が発生した。
曲亭馬琴は随筆「羇旅漫録(きりょまんろく)」のなかで、大井川の川留めの様子について「連日の雨に大井川往来泣ければ、岡部より島田の間に、諸侯みちみちて、いと賑わえり」と書いている。
宿場には多くの旅人があふれ、中には商人宅に泊めてもらう旅人もいたようで、芸人の歌や踊りがあちこちから聞こえるなど江戸のようににぎやかだったそうだ。馬琴のように、川留めを楽しんだ旅の者もいたようである。