山深い土地で発展! 江戸時代の林業・運輸に大きな貢献をした「木曽式運材法」をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(4)
現在の国道19号
「木曽(きそ)路はすべて山の中である」
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明治の文豪・島崎藤村の代表作『夜明け前』の冒頭を飾る一節だ。御嶽山(おんたけさん)や駒ケ岳、南木曽岳、恵那山(えなさん)の山々と峠に囲まれた地、それが木曽である。
木曽路は中山道の一部にあたる。現在の国道19号だ。市町村では長野県松本市と塩尻市の一部、木曽郡全域、西は岐阜県中津川市にまたがる。高速道路では中央道と長野道の一部区間も通っている。
中山道は江戸時代、五街道のひとつとして人の移動に欠かせなかったが、山あいだけに物流道路に適していたとはいい難い。特に木曽は木材の供給地だった。宿場町で馬を引き継ぐ「伝馬制」や、「木曾の千疋牛(せんびきうし)」など、牛馬に荷物を載せて険しい山道を輸送するシステムはあったものの、大量輸送には不向きだった。
そこで木曽では、河川を使って木材を運ぶ特殊な輸送技術「木曽式運材法」が発達した。
築と城下町建設に貢献した運材法
この方法は、『木曽式伐木運材図会(きそしきばつぼくうんざいずえ)』に詳しく描かれている。江戸時代の林業と運輸を詳解した絵巻物として、林業遺産に登録された一級史料だ。
まず、木を伐採し渓流まで運ぶ。次に木曽川に1本ずつ木材を流し、下流の綱場(つなば。頑丈な綱を張り、流れてきた木材をせき止める場所)にため置く。その後、木材で筏(いかだ)を組み、さらに下流へ向かう。筏(いかだ)には人が乗り、下流に行くにつれ複数の筏を連結する。海に着く頃には巨大な筏となっている。そして、港で筏を解体し、船に積み替える。
『木曽式伐木運材図会』を所蔵している中部森林管理局はいう。
「山間部において困難な物流を、創意工夫と知恵で克服していたことがわかる歴史的史料です。次世代に引き継いでいくべきものとして、交通・運輸に関わる人たちに、ぜひ知ってもらいたい」
木曽の木材の需要が高まった背景には、江戸時代初期に起きた城・城下町の建設ラッシュがある。
1600(慶長5)年、天下分け目の一戦といわれた関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、家康は自分に味方した大名の配置替えを行い、別の領地に赴任させた。すると、大名たちは新たな領地で、城と城下町の整備に着手する必要に迫られたのである。
また、江戸城・駿府城・名古屋城建築の用材としても、ヒノキ・ケヤキ・スギ・マツなどの受注を大量に受けた。これによって、木曽の木材ブームは急速に全国に波及していったのである。