鉄道は移動手段のみにあらず! 私鉄ビジネスモデルを編み出した阪急総帥「小林一三」をご存じか
沿線ビジネスを生み出した小林

2022年、日本の鉄道は開業150年という節目の年を迎えた。しかし、2020年から続く新型コロナウイルスは収束しておらず、その影響により鉄道各社の業績はいまだ回復していない。
また、人口減少が一気に進み、今後は鉄道利用者が急速に減少することも予測されている。利用者減に苦しんでいるのは主に沿線人口が少ないローカル線だが、東京・名古屋・大阪・福岡といった大都市圏に路線網を築く私鉄各社も決して楽観視できる状況にない。
大手私鉄と呼ばれる鉄道会社は国内に16社あり、それら大手私鉄は鉄道事業のみならず沿線でさまざまな事業を展開している。本業ともいえる鉄道事業を軸にして、沿線でビジネスを展開する手法は箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の総帥・小林一三が編み出したといわれる。小林の編み出したビジネスモデルは、鉄道を単なる移動手段から大きく変えていくことになった。
小林は1957(昭和32)年に84歳で没した。それから半世紀以上が経過し、社会は大きく変化を遂げている。それでもなお、小林が生み出したビジネスモデルは私鉄の模範となっている。それが、鉄道業界や鉄道ファンから小林が伝説的な人物として語り継がれる理由でもある。
文学青年から鉄道マンへ

小林は慶応義塾大学を卒業後、三井銀行に就職。ただ、当時から才気煥発(かんぱつ)だったわけではない。
大学時代から文学青年だったので、小説で身を立てるつもりだったようだ。そのため、銀行員の仕事は実が入らず、優秀なバンカーとは言い難かった。
転機は1907(明治40)年に、阪鶴鉄道(現・JR福知山線に相当)の監査役に就任したことで訪れる。小林が監査役に就く以前から、阪鶴鉄道は国有化されることが既定路線になっていた。つまり、完全な腰掛け仕事でしかない。
しかし、小林は阪鶴鉄道に携わったことで、鉄道事業の将来性に気づいた。阪鶴鉄道の経営陣は国有化で得た資金を元手にして、新たな鉄道会社を設立。箕面有馬電気軌道と名称を定め、1910年に梅田(現・大阪梅田)~宝塚間と途中の石橋(石橋阪大前)~箕面公園(現・箕面)の路線を開業させた。