国鉄はなぜ民営化されたのか? 経営効率化か、はたまた組合つぶしか

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1987年に解体された国鉄。その背景にはいったい何があったのか。

分割民営化と行政改革

ローカル線のイメージ(画像:写真AC)
ローカル線のイメージ(画像:写真AC)

 1987(昭和62)年4月1日、国鉄は解体され、JRなど12の承継法人が誕生した。当時の中曽根康弘内閣は行政改革の一環として、国鉄、日本専売公社、日本電信電話公社の3公社を民営化するという方針を進めていた。そして、国鉄はJR、日本専売公社は日本たばこ産業(JT)、日本電信電話公社はNTTへと変わっていった。

 国鉄の分割民営化はこうした行政改革の一環だった。1949年の国鉄発足以降、国鉄は鉄道省から分離され、独立採算でやっていく公共企業体と位置付けられていた。しかし、完全に政府との関係が切れたわけではない。運賃や予算、人事など、重要な問題については国会の承認が必要であり、その都度政府の介入を受けていた。

 田中角栄が掲げた日本列島改造計画に象徴されるように、戦後の経済成長のなかで、地方の交通事情を改善することが急務となっていた。そのため、各地で線路網の拡充が図られていく。しかし、なかには不採算路線も多くあり、その赤字に国鉄は苦しむことになった。国鉄の地方路線は、政治家の利益誘導の手段ともなっていた。国鉄は政府の介入を受ける公共企業体であったがために、その介入を退けることはできなかった。

 一方、独立採算制であるがゆえに、本当に政府の介入が必要な場面では政府の介入を受けられないという問題も生じていた。さらに、戦後の経済成長のなかで、首都圏を中心とした都市部では急激な人口集中に対応する必要が生じていた。

 これに対して国鉄は輸送力の増強を図ったが、国からの補助金や補助制度は受けられず、国鉄が自己負担で行っていく。2022年現在であっても、都市部の交通改善には莫大(ばくだい)な費用が生じ、私企業である鉄道会社にとっても負担は大きい。

 そこで、鉄道会社だけでなく、地方自治体なども負担することになっている。例えば、鉄道を高架化する連続立体交差事業では、費用の90%は地方自治体の負担となっている。しかし、国鉄は自己負担で行わざるを得なかった。そのため、債務が累積していったのだ。

 国鉄債務の累積は新幹線事業も同様だった。新幹線の建設には巨額な費用が必要だが、これも国鉄の負担となった。しかも、政府保証のない特別鉄道債券の発行によって賄ったがゆえに、国鉄は高い利子で借金を返さざるを得なかった。

 国鉄は赤字ローカル線など、政府の介入を受け、自らの赤字を拡大させていく一方で、大都市圏での輸送改善や新幹線など、本来は政府の介入を受けるはずのところでは介入を受けられないという、本末転倒な状況に追い込まれていたのだ。

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