鉄道は移動手段のみにあらず! 私鉄ビジネスモデルを編み出した阪急総帥「小林一三」をご存じか
開業前に沿線開発

小林は開業前に沿線を繰り返し歩いた。沿線は田んぼが広がる農村然としたエリアだったため、沿線住民から誰も乗らない “みみず電車”と侮辱されていた。
沿線には農家しかなく、電車に乗って大阪へと出掛ける人はいない。だから、電車の利用者がいるはずもなく、経営が成り立つわけがない。箕面有馬電気軌道の前評判は、おおむねそんな感じだった。そうした評判は順当なことだったが、小林は逆の発想をしていく。
「沿線に人が住んでいなければ、人が住むように住宅地を造成すればいい。周囲は田んぼだから、安く土地を購入できる」
と考えたのだ。
こうして開業前から沿線の土地を購入して、宅地造成を開始。箕面有馬電気軌道が造成した住宅地は駅から近いという利点もあったが、サラリーマンが買いやすいように月賦(げっぷ。月割りにして代金を支払う方法)を導入した。これは、住宅に月賦を導入した日本初のケースといわれる。
レジャー施設開業で収益効率化

月賦販売により、大阪に通勤するサラリーマンが続々と住宅を購入した。住宅販売で利益を得るとともに、その住宅地に住む人たちが電車に乗って通勤するという鉄道需要も生み出す。
これだけでも小林が傑出した鉄道経営者とわかるが、小林はそれ以上の構想を温めていた。住宅地から都心部へ通勤需要を生み出したが、都心まで走った電車は駅に到着した後に反対方向へと走らなければならない。これでは、郊外から都心へ向かう電車しか人が乗らない。駅に到着した電車を空のまま走らせることは、明らかに不経済だった。
小林は郊外側の終点である箕面公園駅の近くに箕面動物園を、宝塚駅の近くには宝塚新温泉という温浴施設をオープンさせた。こうしたレジャー施設を
「都心とは逆側につくる」
ことで、レジャー施設へと向かう利用者が梅田駅から引き返す電車に乗る。電車を空のまま走らせることなく、効率的だった。こうした手法で、小林は鉄道事業を多角化し、沿線開発も含めた事業で企業規模を拡大していった。