鉄道は移動手段のみにあらず! 私鉄ビジネスモデルを編み出した阪急総帥「小林一三」をご存じか
2023年は、阪急総帥・小林一三の生誕150年という節目にあたる。小林は「鉄道は移動手段」という固定概念にとらわれずに独創的なアイデアを次々と考え、実現させていった。
宝塚歌劇団も阪急

阪急ブレーブスと同様に、阪急の集客として忘れてはならないのが宝塚歌劇団だろう。宝塚歌劇団は、前述した宝塚新温泉内の劇場で1913年に宝塚唱歌隊として産声をあげている。
劇場は宝塚新温泉のプールとして使用されていた建物で、警察当局から「風紀上、男女が一緒のプールを使用することは好ましくない」との指導を受けて使用を停止していた。小林は使えなくなったプールの新たな使い道として、劇場にすることを思いつく。そして、少女唱歌隊の公演で手応えをつかみ、翌年に宝塚少女歌劇養成会と改称。初公演を果たした。
以降、タカラヅカは阪急にとって欠かせないコンテンツになっていく。1918年には東京での公演も成功を収め、年を追うごとに関西を地盤にする本体の鉄道会社よりも全国区の知名度を誇るようになっていく。
しかし、ブレーブスもタカラヅカも単体では赤字の事業だった。それでも小林は没する直前に
「私が死んでもタカラヅカとブレーブスだけは売るな」
と遺言。どちらにも深い愛着を抱いていた。